樽本温泉 ふれあいの旅
樽本温泉   樽本温泉は、雄大な自然につつまれた奥深い山里 「樽本
 集落にあります。
 
 樽本は、昭和の中ごろまでは 「豊葦(トヨアシ)村」 でした。
 山野の原風景は、当時のまま今に伝えられています。
 
 地元の人たちや樽本温泉での出会い、また自然や歴史跡との
 ふれあいなど、季節もテーマも特にすじ立てなくご紹介します。
 
 あわせて樽本の明日への思いなども、折々にご紹介させて
 いただきます。
 
             【 2010年6月 樽本のオジ(ryuzi) 】
               
( 写真をクリックしてご覧ください。)
 樽本温泉は、このホームページでもご紹介しています。
  「ビュースポット」 → 樽本温泉
  ・ムービー「空からご案内」 → 連山

                    → 樽本温泉
ご意見、ご感想はこちらから。
 
盛り上がった 『ままよ会』

 【No23
 第19回 『ままよ会』、3年ぶりに12月5日(日) 開催されました。

 (財)東京新潟県人会館 (東京 台東区) で、正午開始〜3時終了の予定が、
 宴が盛り上がり延長して4時にようやくの散会でした。

 
 最年長者(84歳)のご発声で、これまでに亡くなられた会員の方々への黙とう、
 そして乾杯と続きました。

 久しい開催と若い初参加の方もおられることで、自己紹介をしていただきました。
 
 名簿順にお立ちになり出身の集落 (上樽、中樽、下樽、土路)、屋号、お名前を
 述べていただくとアッチコッチから、「オーッ」 と声が上がっていました。

 中には、50年ぶりの再会を喜び合う方々もおられました。
 
 続いて懇談しながらの豪華?会食、ふる里の最近情報、カラオケ、全員並び
 そろっての記念撮影と続きました。

 
 かねてから準備の、樽本音頭、ままよ踊り唄、もご紹介して皆さんで口ずさみ
 楽しんでいただきました。

 
 この 「ままよ会」 は、皆さんのご意向を得て次回から毎年の開催となりました。
 若い世代も加わり、さらなる会員拡大が期待されています。
 
 【 写真は、このたびの 『ままよ会』 宴(うたげ) の模様です。

ままよ会 準備すすむ。

No22
 No18とNo19でご案内しています 「ままよ会」 の開催が間近になりました。
 開催世話人が集まって11月14日、その確認打ち合わせが行われました。
 
 申し込み期限にはまだ日がありましたが、30人を超す参加の見通しです。
 80歳を越すご高齢の方も、出席くださるとの知らせが届いています。
 
 s20年代からの親睦団体ですので、会員には80歳以上の方もたくさんおられます。
 3年ぶりの久しい開催のため、ご高齢会員の中には悲しい知らせの方々も
 おられました。

 
 一方、若い新会員も増えてきましたので、伝統あるこの 「ままよ会」 は、さらに
 永い継承の見通しもつきました。

 
 世話人の間で、思いがけない出会いもありました。
 『樽本のオジの(ryuzi)日記』 2010年7月27日と7月31日のペーシ゜で、「ジバチ
 とハチとり」 をご紹介しています。

 
 想い出ばなしがハズム仲で、s20年代後半。
 中学生のころ一緒になって襲ってくるハチを払いながら 「あのハチとり」 を
 やった仲間が、世話人仲間であることも分り、ご縁を感じています。


     【 写真は、樽本一番に高い山 「袴岳(ハカマダケ)」 に続く山並み、
       晩秋の紅葉です。


 

昨年の樽本温泉仕舞い。
NO21
 樽本温泉、今年11月3日の冬季 「温泉仕舞い」 催事は、屋内で盛大に行われ
 たとHP 「豊葦の郷」 がお知らせしています。

 
 昨年に続いて、今年も参加できず寂しい思いで過ごしていました。
 昨年11月2日は、翌日の温泉仕舞い催事参加に向けて樽本に帰っていました。
 
 その日の午後、数m先が見えない突然の激しいミゾレとなり、関山駅 (JR信越
 本線) 近くの宿に予定を変えて早戻りをしました。

 
 翌3日、温泉仕舞いの朝、関山周辺の積雪が20cmを超えていました。
 標高の高い樽本地域は、30cmを超えるドカ雪との知らせも届きました。
 
 上り坂の多い樽本までの路に、20〜30cmの積雪では走るのはムリで仕方な
 く、温泉仕舞いイベント参加をあきらめて、その日に帰ってきました。 

 
 今年ももう11月中旬、豪雪地の樽本は間もなく白銀の世界になることでしょう。
 来春4月下旬(29日)、樽本温泉の営業再開日への参加を楽しみにしています。
 
 写真の左は、昨年11月3日の関山駅近くの積雪。
      右は、2007年11月3日の樽本温泉 前庭からの景色です。

冬季の温泉仕舞い。
No20
 樽本温泉の冬季休業 「温泉仕舞い」 の催事案内が届きました。
    日時: 11月3日(祝日) 午前11時30分より
     会場: 樽本温泉前の駐車場
 
 温泉入浴と樽本産の秋そば、樽本特産 「山もち」 が皆さんのお出でをお待ち
 しています、とのご案内です。

 
 今年1年の感謝を込めて、樽本の方々が迎えてくださいます。
 樽本出身にこだわらず、どなたでも自由で無料ですので、たくさんのご参加を
 おすすめいたします。

 
 今年は、この日をもって翌日 (11/4) から冬季休業に入り、次の開業は翌年の
 4月下旬になります。

          -------------------
 
 写真は、樽本温泉の休憩室に置かれている 「ご意見箱」 に寄せられた
 ご感想です。
その一部をご紹介します。
 
 【 上越市にお住まいの男性AS氏 62歳 】
   ・施設も十分、清掃も行き届いており、気持ちよく利用させていただきました。
    地域の写真も興味深く拝見しました。
    秋も深まった頃、また利用させていただきたいと思っています。
    ありがとうございました。

ままよ会 開催へ。
NO19
 準備会が、先日、新しい世代によって行われて12月初旬に 「ままよ会」 開催が
 決まりました。

 
 先回の開催がH19年と聞いていますので、3年ぶりの久しい開催になります。
 この間に会長の交代などもあって、案内状は新しい会長名で発送されます。
 
 ままよ会の全会員≒100人に、10月中旬、案内状が届けられます。
 併せて今回は、旧豊葦村ご出身で未加入の方にも、ご案内することになりました。
 
 既会員が住所を知っている 「豊葦出身の未加入の方」 に、ご案内されます。
 案内の地域は、今回は首都圏にお住まいの方が中心の見込みです。
 
 豊葦出身で未加入の方は、現会員の何倍もおられると推測されていますが、
 その多くは住所の把握ができていません。

 
 このHPをご覧くださっている方でお知り合いの方がいましたら、このページの
 トップにあります
『ご意見、ご感想はこちらから。』 にぜひお知らせください。
 案内状を手配いたします。
 
 【 写真はハゼ掛け。背景は樽本の名勝 「ぬの滝」です。2009年10月 撮影。】

ま ま よ 会
No18
 写真の 「ままよ会」 は、旧豊葦村の出身でおもに首都圏に在住の方々による
 親睦団体です。
 【 樽本は、s30年まで 「 豊葦 (トヨアシ) 村 」 でした。】
 
 当会はs20年代、樽本出身の奇特な方によって東京に 「豊葦出身者の会」 と
 して発足、その後、s44年 「ままよ会」 と改称して今にいたります。

 
 会員には、大正3(1914)年生まれを筆頭に今は105人が登録されて、親睦の
 催事や飲食会などが、たびたび催されてきました。

 
 最近、40年以上ご尽力くださった二代目会長の亡き跡を受けて、次の世代で
 会の一層の発展を図ろうとする動きが始まりました。

 
 会員や地域の拡大、ふる里との連携などを目指しています。
 旧豊葦村ご出身の方々、その子々孫々の方々の一層の参加が期待されてい
 ます。

 
 その活動など、この先、おりおりにご紹介させていただきます。
 
 当会の 「ままよ」 は、旧豊葦村の伝統的な 「ままよ踊り」 を受け継いでいます。
 歌詞などを、「樽本のオジ(ryuzi)の日記」 2010年8月15日〜18日付でご紹介し
 ています。


石器 ( 行方さがし。)
No17
 s20年代、小学高学年のころ、上樽集落の道端で石器らしい石を見つけたこと
 があります。

 子供のころの記憶で、自分の手のなかに納まる大きさでした。
 
 生家の庭から10mほど離れた道端で、田んぼへの細い導水路の中で色々な
 石と共に転がっていました。

 
 その石を当時かよっていた学校 「村立豊葦小学校」 に持って行ったとき、担任
 の先生から 「おまえ、いいモノ見つけたなナーッ・・・」 とほめられた事を覚えて
 います。

 
 学校の2F奥に理科室があって、そこの資料棚に説明札つきで展示されました。
 その校舎は、s30(1955)年7月に老朽化で閉鎖〜新校舎に移転。
 その後 「新校舎」 も、集落の過疎化と少人数化でh2(1990)年3月で廃校〜統合。
 
 2007年10月、市教育委員会ご担当を訪ねて、考古資料室にご案内をいただき
 ましたが、
「豊葦小学校」 からの、統合資料は含まれていませんでした。
 
 今も、子供のころ見つけた、その 「石器らしい石」 を探しています。
 当時のことをお知りの方、どんな小さな情報でもお教えください。
 お願いします。
 
 写真は2007年10月、市教育委員会ご担当の案内で訪れた際、資料室に
 あった石器を写しました。

 子供のころの記憶に良く似ていましたが、別出土地が明記されていました。

石器 (その3)

No16
 先回 「石器 (その2)」 の、ご紹介で (財)新潟県埋蔵文化財調査事業団 を
 2007年12月初旬に訪問しました。

 
 考古学ご専門の調査責任者 KM氏 によって丁寧な鑑定と解説をいただき、さら
 に参考書籍、また新潟県が指定した樽本地区の遺跡 「埋蔵文化財包蔵地
 6件のご紹介も得ました。

 
 「@の石」 評価(概要)
 ・鑑定: 単品で見る限りは多分 「自然石」。
      遺跡であれば同じ場所から色々なものが見つかるはずで、石器よりも
      土器が多く見つかり年代を示す土器も出土する。
      更に何かが見つかれば評価が変わる。

 
 ・鑑定の要因
  左右が非対称の形状などから、斧ではないと思われる。
  丸い穴から 「土偶」 風のモノかと考えたが、人為的な穴であれば回転しな
  がら開けた 「すり鉢状」 の跡があるはずで、それがない。

  この石は砂と石が固まった 「堆積岩」 で、中に挟まっていた石が抜け落ちた
  ものと思われる。

 
  表面を人が磨いたとすれば、こすった方向に筋ができて、その筋が色々な
  方向に向く。

  この石の筋はすべて同じ向きで、表面が全面ツルーンとしている。
 
  自然石としてはスゴク珍しい光沢であること、先端部が黒く滲んでいること、
  などから沢山の人が持ったり触ったりした 「手ズレ」 かも知れない。

  手垢は土中で分解するか、手ズレのは跡はそのまま残る。
  大昔、先祖の人々が大事にしていた石かもしれないが、年代は分からない。
 
 「Aの石」 評価(概要)
 ・鑑定: 人為的に叩いて割った、と見られる部分がないことから自然にできた石。
      人が割った石には、連続的に叩いて割った波うち形の 「山の稜線」 が
      表れているのが多い。
      この石にはそれがない。

 
 一般に遺跡が見つかるのは、地表や木陰などに露出している石器片や土器片
 などを偶然に拾ったことがキッカケのことが多い、とのご説明でした。

 このたびの 「発見」 に続いて、更に何かが見つかるでしょうか。
 
 写真は、当日の鑑定の様子と同財団の定期刊行の一部です。
  

石器 (その2)
No15
 先回、 「石器 (その1)」 の発見者 (KTさん) が、見つけた当時の様子を現場て
 再現して、「石器」 と共に送ってくださった写真です。

 
 写真の左は、見つけた場所。手前は畑、左奥にお寺、右奥はお墓場です。
      中は、見つけた当時、一部が露出していた 「@の石」 の状況です。 
      右は、「Aの石」 を見つけた状況です。
  
 樽本の歴史を長年にわたって調査している知人 (樽本OB) に相談の結果、
 岩石・地質・火山などの高度な専門家のご紹介を得ました。

 
 2007年11月初旬、(旧)新井市在住のその方 (理学博士) のお住まいを、知人と
 共にお訪ねして鑑定をお願いしました。

 
 博士は、高倍率顕微鏡などを使って石質、外観や表面の成型が自然か人工的
 かなどを丹念に調べてくださいました。

 
 「@の石」の鑑定(概要)
  凝灰岩という火山灰が固まった石。
  妙な形をしているが、石器であれば人手で磨いた跡が残っている。それが、
  この石ではハッキリしていないため石器ではないように思う。

  石器というより 「まつりごと」 などに使ったモノ、の可能性も捨てがたい。
 
 「Aの石」 の鑑定(概要)
  人為的な加工の跡が何も見えない。溶岩の割れ目と思われる。
 
 鑑定のまとめ
  考古学専門の判断をしてもらうために、とのご配慮で次の機関の知人を
  ご紹介くださいました。

  (財) 新潟県埋蔵文化財調査事業団。 <続く。>   

石器 (その1)
No14
 2007年8月、面談取材でお盆に合わせて樽本に帰り、昼のひと時を使って、
 既に住む人もいなくなった家屋や屋敷跡を写真撮りしていました。

 
 集落を一望できるT家の屋敷跡では、その家のご一家がお墓参りで帰られて
 いました。

 ご一家は当時、(旧)高田市で素敵な手づくり洋菓子店を営んでおられました。
 
 たまたま通りかかった私に、思いがけない声を掛けてくださったのは、そこの
 ご主人で 50数年ぶりに再会した二年上級の 「KTさん」 でした。

 
 その要旨。
  ・昔、アンタが石器を見つけて小学校に持ってきたことを覚えている。
   自分も一昨年 (2005年)、お盆の墓参りの際、石器らしいものを二つ見つけた。
  ・鑑定を依頼してみたが上手くいかなかった。
   ここで会えたのも何かの縁だ。どうしたものか・・・。
 
 ご相談の結果、その 「石器」 をひとまず拙宅に送っていただき専門家の鑑定
 手配をすることになりました。<
続く。>
 
 写真は、発見場所の説明つきで2007年10月初旬に届いた 「石器」 です。
   左は、箱詰めを解いた状態です。
   右は、「石器」 の原寸を写しました。  
  
 
キズケーネク・・・
No13
 「気がねしないで」、「お気づかいなく」 などの言い回しを、樽本の方言では 
 「キズケーネク」 となり、ご高齢の方は今でも親しい間がらなどでは使うことが
 あります。

 
 面談取材を2006年から始めて2008年までの2年間で、≒30人の方にお会いする
 ことが出来ましたが、中には初めての方もいました。

 
 樽本はs30年までは四つの集落で構成していましたが、当時の私たち子供は
 親戚でもない限り、よその集落を訪れることは滅多にありませんでした。 

 
 私の生まれ育った集落 (上樽) での面談の方は、「キゼム (屋号) のオジの私」 
 を知っていましたが、他の集落では自己紹介などギコチなく始めたことが何回も
 ありました。

 
 その訪問の趣旨が分かると快く、「まーソンネにキズケーネク・・・」 と声がかかり
 取材が始まっていました。

 
 面談が済み別れの際には、「こんど来るトキャ、ソンネにキズケーでネーク・・・」 
 と、親しみの声をかけていただいていました。

 
         【 写真は、樽本の野生ホップです。2008年9月の撮影です。】

屋号の呼び方から。
No12
 先回ご紹介の 「屋号」 で生家 (キゼム) を、男の方は昔から 「キゼムサ」、女性
 からは 「キゼンド」 と呼ばれていることをご紹介しました。

 
 この呼び方、「サとンド」 が付く屋号の家は樽本には何軒もあります。
 ただ、発音 (ゴロ) が不自然になる屋号では 「サ」 のみであることから、昔、
 屋号への敬称 「様と殿」 が永い歴史の中で変化したと推察しています。

 
 一方、樽本は大昔、農民が新たに開拓した集落と伝えられてはいるのですが、
 大昔の百姓農民がサマ(様)やドノ (殿)付けで呼び合っていたであろうかとも・・・。

 
 また、樽本には バンバ (番場/馬場)、ショウヤ (庄屋) 、ヤスンバ (休み場)、
 ほか由緒を思わせる屋号が何軒もあります。

 
 この他、苗字の分布、地名や習慣などから、樽本の大先祖は果たして百姓農民
 の出であったのであろうか、などとも・・・。

 
 これらの歴史について上樽本ご出身のK氏、下樽本ご出身のT氏によって、
 かねてから丹念に調査が進められています。

 遠からず多くの事が詳細に検証されて、まとめあげられると期待しています。
 
 【 写真は、「下樽本」集落の全景です。平成4(1992)年6月の航空撮影です。】

屋 号
No11
 お隣や縁者の家を呼ぶのに一般には 「○○さん」 と苗字で呼びますが、樽本
 では昔から、そして今も 「屋号」 で呼び合います。

 
 樽本の生家屋号は 「キゼム」 でした。
 ( 3月6日付 「樽本のオジ(ryuzi)の日記」 でご紹介しています。)
 
 樽本の昔を訪ねる旅を本格的に進め出した年、2007月7月のことでした。
 この日は、お二人の女性 (87歳と85歳) ご一緒の面談取材でした。
 
 お二人は私の生家を 「キゼンド」 と呼びながら、想い出の数々を語ってください
 ました。

 この席がその後、これまで耳慣れていた屋号の呼び方 「キゼム」 との違いを
 考えるキッカケになりました。

 
 その後、たくさんの方々にお会いしている中で男性は 「サ」 、女性は 「ンド」 を
 屋号に付け加えて呼称していることを知りました。

 少年期で樽本を離れた私には、知らなかった大人の生活習慣でした。
 
 「サ」 は様、 「ンド」 は殿、から変化した長い歴史があるように推察しています。
 
  【 写真は、人の背丈ほどにもなるウバユリです。樽本で7月下旬の撮影です。】
 
  
珍しい原石
No10
 2006年からの樽本の昔を知る旅で、樽川にまつわる興味深い体験談をお聞き
 しました。

 その一部をご紹介します。
 
 A(男性 82歳): 樽川で、ヒスイを拾った話しを聞いた・・・
  B(男性 85歳): 樽川の上流で、キラキラ光る石をたくさん集めて庭に並べた・・・
  C(男性 84歳): 樽川の近く、砂利採掘場から大きな水晶岩塊が出土した・・・
 
 Aのヒスイについては、さらに次の話しがありました。
 どこかの高校の先生が、その現場を調べて 「崖の岩場にヒスイ埋蔵層」 を確認
 した。
  ( 本件、その分野の専門家によれば、疑問とのご意見でした。)
 
 Bの石は、 光る石は丸い形で、金や銀の輝きと異なり鉄に似た光であった。
 当時その石を学校の先生に見せて、黄銅鉱と教えられ学校の理科室資料棚に
 収められた、との話しでした。

 
 Cの水晶岩塊は、その後、砂利採掘場の地主の家に飾られていた、との話し
 でした。

 最近、その家の方から現在も飾られている、その写真のご提供を受けました。
 
 写真の、左はその水晶岩塊正面でW≒30cm  H≒20cm  D≒20cm。
       右はその拡大です。

次の世代へ・・・。
No9
 2006年に樽本の昔と今の面談取材をはじめて、村の諸先輩が語ってくださる
 数々の歴史や体験談は初めて知る事柄がたくさんありました。

 
 それにもまして、面談取材の機会をいただいたご本人さまの心情に、心うたれ
 強く後押しされるものがありました。

 
 そのご心情は、お会いした多くの先輩のお気持ちにも共通していましたので、
 そのお言葉をご紹介いたします。

 
 < お言葉の概要です。>

 昔の生活や苦労ばなしを毛嫌いされる世相になってしまった。
 樽本の歴史や地理、風習や苦労は、樽本で生活した世代でないと理解できない
 ものがある。

 今それを伝えておかないと、次の世代ではさらに関心が薄れてしまう。
 この先になれば、あの風習や苦労を知る人も理解してくれる世代もいなくなる。
 後世に残すには今が最後と思っている。
 シッカリと後世に残しておきたい。
 いままで話したくてもその場がなかったし、聞き出そうとする人にも会えなかった。
 ( 中略 )
 今も樽本を離れず、樽本を護り続けている人たちのいることを忘れないで
 ほしい。

 ふる里を離れていった人たちのことを、今も、樽本から見守っている人たちの
 いることを忘れないでほしい・・・( 以下略 )

 
     【 写真は、ミソハギの花です。樽本の方言では 「お盆花」と呼びます。 】

樽本温泉での出会い。
No8
 地元のお年寄りの方に 「樽本の昔と今 」を語っていただく旅を、2006年秋から
 始めて本格的には翌年雪どけを待って5月から里帰りを繰り返していました。

 
 その本格取り組み最初の里帰り (2007年5月14日〜18日)では、3軒をお訪ね
 して充分な時間をかけて話しをお聞きすることができました。

 
 その合間をぬって、樽本温泉で一休みしていた時のことでした。

 ご夫婦でお出でのお客様と世間話しがはずみ、ついつい、ひと昔 前の現役
 時代の話題に深入りして、今でも忘れられない奇縁がありました。

 
 その方 ( ご主人のHK氏 上越市 ) はなんと、かつて私 長く勤めていた会社
  (東京) で仕事を共にしていた優秀な若き (当時) 音響技術者と小中学時代の
 同級生でした。

 話しはさらにはずみ、忘れられないひと時になりました。
 
 東京から遠く離れた奥深い山里の樽本温泉で、思いもかけない出会いの幸運。
 このような幸運の出会いチャンスは、樽本温泉ではどなた様にも・・・。
 
 写真はヤブカンゾウ。 樽本温泉の前、民家裏の土手で7月に写しました。

樽本の昔と今
No7
 樽本は、明治22年に隣の土路村と合併して豊葦村になった頃、170戸ほどの
 集落でした。

 
 その後、豊葦村は S30(1955)年に妙高村、H17(2005)年には妙高市と変革して
 きました。

 その過程でお蔵入りしていた昔の書類を見せていただきに 、7月1日 から
 里帰りをしてきました。

 
 その中に、S37(1962)年当時の、「豊葦地区」 の戸数が記された書類かあって
 写してきましたのでご紹介します。

 
    【集落】  (上樽本) (中樽本) (下樽本) (土路)  (合計)
    【戸数】    54     21      43    36    154戸
 
 以来、半世紀近くを過ぎて過疎化が進む今も、地区の方々は樽本温泉を自治
 運営しつつ、心豊かに知恵を出し合って樽本の歴史と伝統を護り続けています。

  ( 豊葦地区四集落の今は、合わせて≒30戸です。)
 
 写真は、このたびの里帰りでの撮影です。
     ・写真の左: モリアオガエルの卵。 中樽本地区で写しました。
      ・写真の右: たわわなクルミ。 樽本温泉の窓からのながめです。

 
思 い。
No6
 2006年10月に始めた取材の旅は、以後、里帰りを繰り返して樽本の四集落 
 (上樽本、中樽本、下樽本、土路) の方々のお家を、一軒一軒お訪ねしました。

 
 2008年10月、樽本四集落への取材一巡したところで、一つの区切りにしました。
 この2年間、合わせて≒30人の方々から面談と録音のご協力をいただきました。
 
 どなたも、快く充分な時間をとってくださいました。
   ・ご本人の求めで面談2回、その録音5時間超の方。
   ・仏壇から家宝を持ち出してご説明くださった方。
   ・歴史跡の現地まで、車でご案内くださった方。
   ・昭和初期の写真アルバムを、一冊そのままお貸しくださった方。

 などなど、ふる里 「樽本」 への皆さまの思いを、全身で受け止める機会を
 いただきました。

 
 お話しを聞かせてくださった方々と、交わした会話を思い起こしますと・・・。
   ・先輩の方々の思いを、後世に伝え残すお手伝いをさせてください。
   ・お聞きしたことは、必ず文書にしてお届けします。
   ・なるべく早くインターネット上で、お聞きした樽本を広く世の中に紹介します。
 
 などなどでした。

                   【 写真は、下樽本の秋祭りのひとコマです。】

昔と今を訪ねて。
No5
 このHP「春はうららの樽本」は、樽本に生まれ樽本を守って下さっている方々の、
 「 記憶をたどった、樽本の言い伝えと体験 」 が元になっています。

 
 このことは明治時代にあった大火で、村役場が焼失して歴史資料が殆ど残って
 いないためでした。

 
 このため、永く語り継がれてきた貴重な歴史をはじめ、生活体験、苦労の数々
 などなどの記憶と想い出をたどっていただきました。

 
 準備期間をへて、最初に取材でお訪ねしたのが 2006年10月 でした。
 お話しをもれなく聞きその内容を理解するために、承諾を得てICレコーダーを
 使いました。

 
 以後、お会いした全ての方々も、録音を快く受け入れてくださいました。
 皆さんの貴重なお声は、全てCDコピーでも保存しています。
 
 ICレコーダーの 「録音起こし」 は、話し言葉を忠実に文字化、次いで文書化、
 それを、ご本人様にお届けして添削をしていただきました。

 
 写真は、いちばん最初にお訪ねした 「 木賀長治氏 」 です。
  樽本に、今もある同氏の生家前で 2006年の撮影です。
 
  木賀長治氏は 「 樽本音頭 」 の作詞編曲者で、このHPでもご紹介しています。
   HPタイトル 「春はうららの」 は、この歌詞からいただきました。
 
出会いふれ合い
No4
 樽本温泉の行事の中で、地域とのふれ合いを特に楽しんでいただけそうな
 代表的なイベントを三つご紹介します。
 
 地元の方々との出会い、山野の原風景や小さな生き物たちとの出会いなど、
 季節感あふれる樽本の風情を楽しんでいただけると思います。
 
 いずれのイベントも、どなたでも無料で参加を歓迎してくださいます。
 遠方にお住まいの樽本出身の方々には、出席のご案内が発送されています。
 
・春の温泉開き (4月29日ころ)
 冬季休業中であった樽本温泉は、実質この日から営業を再開します。
 連山の樹木が一斉に芽吹きはじめて、まるで無限サイズの水彩画を思わせる
 原風景が楽しめると思います。
 
・お盆のつどい (8月15日)
 旧暦お盆のこの日、遠方にお住まいの樽本出身の方々も参加されます。
 日ごろ会えない懐かしい顔ぶれも加わりますので、樽本の風情にふれ合える
 もっとも良い機会になると思います。
 
・秋の温泉仕舞い (11月3日)
 歌や和太鼓などの応援団も加わり、今年を締めくくる盛大なイベントになります。
 樽本温泉をとりまく連山は、色とりどりに鮮やかに紅葉してその極みを演出して
 くれます。
 この翌日から、樽本温泉は冬季の休業に入ります。
 
     【 写真の左は 「お盆のつどい」、右は 「温泉仕舞い」 のひとコマです。 】

樽本温泉センター
No3
 樽本温泉は、その昔は樽本の 「農業者健康管理」 施設として設立されました。
 
 その後、「泉質」 効用が評判をよび人伝いに広がって、近隣町村、他県からも
 数多くの方々がご入浴に訪れるようになりました。
 
 樽本温泉センター1F、2Fの広い休憩室は、どなたも自由にご利用できます。
 休憩室には、セルフサービス用ポットと日本茶が用意されています。
 
 さらに地元手づくりの枕も用意されていますので、ご入浴のあと癒しのひと時を
 横になって過ごされる姿もしばしばお見受けします。
 
 中には自慢の手づくり料理を分け合って楽しまれるグループ、まれには小型の
 カセットコンロ持参で料理を楽しまれるご家族づれを見かけたこともあります。
 
                【 写真は、樽本温泉センター2Fの休憩室です。】

樽本温泉

No2
 樽本温泉は集落の東丘陵地に、大昔から豊富に湧く鉱泉を加熱している温泉
 です。
 その成分と効用は、専門機関によって次の試験成績が出ています。
 
 【 温泉分析試験成績 】

  ・泉質
     単純硫黄冷鉱泉 ( アルカリ性低張性冷鉱泉 )
 
  ・一般的適応症
     神経痛。筋肉痛。関節痛。五十肩。運動麻ひ。関節のこわばり。
     うちみ。くじき。慢性消化器病。痔疾。冷え性。病後回復期。疲労回復。
     健康増進。
  
  ・泉質別適応症  
    慢性皮膚病。慢性婦人病。きりきず。糖尿病。
 
   此の鉱泉は温泉法に規定する温泉に該当する。
          調査員名 新潟県 上越保健所 温泉監視員 (氏名略)
              試験者   新潟県 衛生公害研究所 (氏名略)

 ご入浴の方からアトピーに効く、肌がすべすべになる、などの声が寄せられて
 います。
 また、ご入浴で温まった体が長く持続してなかなか冷めにくい、とのご好評を
 いただいています。
 
                     【 写真は、樽本温泉のパンフレットです。】

樽本温泉のご案内

No1
 樽本温泉は、4月の雪どけを待って5月1日に毎年営業を再開します。
 
 樽本は、新潟県でも有数の豪雪地ですので、遠方からお出でになる方の交通
 安全のためにも、冬の間は 「店じまい」 をしています。

 秋は、初雪が舞う晩秋の前、10月31日に 「店じまい」 をしています。
 
 毎年、春の営業再開と秋の店じまいには、共に集落あげて盛大にイベントが
 催されます。

 地元伝統の手料理やソバなどが無料で、どなたでも自由参加で振る舞われます。
 
  ・写真の左は、営業再開の少し前 ( 4月18日撮影 )、残雪の樽本温泉です。
  ・  〃  中は、イベントで振る舞われます当日の、手づくりソバです。
  ・  〃   右は、秋 「温泉仕舞い」イベントの、地元応援隊です。 

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