ふる里「樽本」のページです。 樽本は新潟県妙高市にあり、以前は豊葦村でした。このページでは樽本の昔の暮らしを紹介しています。
春はうららの樽本

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樽本は、まわりを高い山に囲まれた奥深い山里で、有数の豪雪地でもあります。
温暖化といわれる近年でも、数メートルの積雪は珍しくはありません。
樽本は、このような環境がゆえに、自然の多くの原風景は維持されてきましたが、時代の移り変わりで、人々の暮らしもまた大きく変りました。


昔の樽本の生活を、わずかに残る写真でご紹介します。
いずれの写真の対象も、その殆どは大きく変り、あるものは姿を消し、あるものは姿を変えて今の時代に適応しています。
 かやぶき屋根
昭和36(1961)年7月撮影。
全戸が専業農家であった上樽本の代表的な家屋です。
かやぶき屋根の家屋 上樽本の家屋の風景
昭和49(1974)年8月撮影。36年7月撮影の家屋(左手前)の裏から撮った上樽集落の一部です。
これ等の家屋はすべて、廃屋または取り壊しされました。
  神樽本集落の家屋
 火の見やぐら
火の見やぐら 昭和29(1954)年8月撮影。

戦後間もなく作られました。子供のころ、スズメの巣を採りに最上部に昇って、ふるえあがった記憶が今も残ります。
老朽化で今はありません。
平成19(2007)年11月撮影。

火の見やぐらの下に建つ、格子戸の「ポンプ小屋」に、いつも納めてあった「手押し消防ポンプ」です。
今も大切に保管されています。
手押し消火ポンプ 手押し消火ポンプ
 家族だんらん
家族のようす
昭和10(1935)年前後の撮影。

秋、稲の収穫が終えると「山餅」を作って祝います。
当時の家族は、子供5人、8人が当たり前の時代でした。
家族のようす 昭和10(1935)年前後の撮影。

この一年、農作業を手伝ってくれた人達も招いて祝います。
山餅は、当時は最高のご馳走の一つでした。
 ミノ(蓑)と笠
蓑と笠 モンペと綿入り半てんで身を包み、ミノ、笠着けて、ワラジはく、この姿が雨降る日の野良仕事の標準装備でした。
この時代、身につけるもの殆んどは手作りでした。
冬の姿 昭和38(1963)年1月の撮影。
真冬、外出の際、手作りの「ミノとわらぐつ」で、寒さと降る雪から身を護りました。
 スキー大会
小中学校合同スキー大会にて 昭和25(1950)の撮影。

スキー大会。2〜3月に、小中学校合同のスキー大会(冬季運動会)が、男子生徒の全員参加で毎年行われました。
この時代のスキーは、男の子だけのものでした。
 農機具
農機具(とうみ) 唐箕(とうみ)

黒ずんだ丸みある箱型の機具がそれです。
脱穀した穀物の殻やゴミを、手回しで風を起して吹き分けます。
今も、現役で役立っています。
農機具(わら打ち機) わら打ち機

脱穀した稲束(ワラ)を動力でたたき柔らかくして、ワラを使い易くする設備です。今も現役で役立っています。
「わら打つ機械も音たかだかに・・・」と、樽本音頭の一節にもあります。
縄ない機 縄ない機

農作業などに欠かせない、「荒縄(あらなわ)」を綯(な)うモーター連動の機械で、脱穀した稲束をほぐしながら、手差しで補給します。今も現役です。
 カイコ(蚕)を飼う
蚕のようす 昭和36(1961)年7月撮影。古くから「蚕を飼う」ことが、樽本農家の貴重な現金収入の一つでした。
「春ご、夏ご、秋ご」と称して、繭(まゆ)を年に3回収穫していました。
蚕のようす 写真の竹製飼育籠を数10〜100枚と棚置きして、朝、昼、夜と餌を与える作業は、野良仕事で疲れていても、欠かせない家族みんなの仕事でした。
 小中学校の歴史
昭和15(1940)年と昭和22(1947)年前後の撮影。
後方の校舎は、明治16(1883)年に建築、以後72年間、多くの生徒が学び、昭和30(1955)年に老朽化で取り壊されました。
小学校の歴史 小学校の歴史
昭和30年、この地に新校舎を建設。
その後、過疎化による生徒減で平成2(1990)年に閉校しました。
記念碑の表には、「豊葦小学校 中学校跡を偲ぶ」と記されています。
記念碑
記念碑の沿革
記念碑はクリックして拡大できます。
 
上樽本の航空写真 
上樽本の航空写真 
 平成4(1992)年6月3日に空から眺めた上樽本です。
上樽集落は高い山々に囲まれた、なだらかな傾斜地形のため水利に恵まれて、水田耕作が盛んでした。

写真は、耕された田んぼが田植えを待っている姿です。
田植えが終えてホタル飛びかう夏が過ぎ、稲穂が実る秋には、あたり一面が黄金色に包まれていました。

時が流れで集落の過疎化と高齢化が進んだ今は、写真の耕作地の多くが野草におおわれ始めています。
 
上樽本を遠望 
上樽本を遠望
上樽集落の西外れの谷(タシキミズ)の、川向こうからの6月中旬の眺めです。
このHPトップページ写真から外れている部分で、左90度方向からの眺めです。
写真の集落手前の傾斜地は、かつて秋は稲穂で黄金色に染まっていました。

写真の後方は金倉(カナグラ)、城平(ジョウビラ)、城外(ジョンソト)、馬隠(マガクシ)の地名連山、そのふもとは間府(マブ)の穴、城袖(ジョンソデ)、テンゴンドウほか、数々の遺跡遺構を思わせる地名です。

写真の地は、樽本のシンボル「袴(ハカマ)岳/1135m」を南に遠望する眺望のすばらしい地域ですが、過疎化が進み希望者がいれば家を譲りたいとの声も出ています。
 
 
 八幡さま
八幡さま
中樽集落の東はずれ、南北が切り立った標高約700mの山頂に「八幡さま」が祀られています。
「中樽地域にたびたび起きる大きな地すべりを鎮める」ために、この地に祀ったのが「八幡さま」の始まりと語り継がれています。

かつて、この祠に納められていて、近年、別のところに移し祀られている「おフダ(札)」の裏面から、次の文字が読み取れます。
  【 明治二十年九月生日 祠堂  長嶺* *  】 (注: 明治20年=1887年)
この他には、八幡さま の昔資料は何一つ残されていません。
昔、八幡さま独自の祀り事もあったと伝えれていますが、近年は神社「お宮さま」で一緒に執り行われています。

写真は2009/5/10の撮影です。
八幡さまへの昔道は雑木と野草におおわれて、その跡はなく記憶の地形をもとに
やっとたどり着きました。
 
 
 嫁入り 
嫁入り
写真は昔の上樽本でのこと、村の「髪結い」さんに花嫁したくを整えてもらい、
手を引かれて自宅に戻る嫁入り当日のようすです。
撮影時期は不詳ですが、昭和20年代の頃と思われます。

この頃までの若者の結婚は、主に親主導で進められていました。
ある晩、酒一升瓶をもった父親が、年頃の娘の家を訪れて「家のセガレの嫁に
ほしい」と娘の親に申し入れて、事が進むのが大方でした。
時には、A家のセガレにB家の娘が、B家のセガレにA家の娘が同時に嫁ぐ、「財布がえ」と称した結婚もありました。

花嫁行列が嫁ぎ先に歩く道端は、村人が立ち並び村をあげてのイベントでした。
道すじを「通せん坊」して、仲人(樽本方言では「親分さん」と言う)が一曲歌わないと通さない、また、雪の季節では、道に秘密の落とし穴を作って仲人を困らせる、などの祝い慣わしがありました。
酒宴が二日、三日と続く婚礼もありました。
 
 
 囲炉裏ばた
囲炉裏ばた
写真の囲炉裏(イロリ)は、樽本の方言では「ジロ」と言います。
ジロは煮炊きの場であるばかりか、「ジロばた(傍、側、周り)」は昔の家屋では、
家族・来客などとの交流の大切な場でもありました。
農耕の季節の朝は「ジロばた」で今日の仕事打ち合わせ、雪ふる寒い季節は
薪(マキ)を一日中炊いて家族みんなで暖をとる場でもありました。

大人たちが集まってお茶を飲みながら、村の大事な事を話しあう「ジロばた会議」も良く見かけました。
前ぶれなく訪れた人にも「あがってお茶イッペエ(一杯)飲んでイカネカエ」と声かけて、大人たちの「ジロばたばなし」も盛り上がっていました。

冬、子供のころ外でスキーを楽しんで濡れた衣服や冷え切った体を温めるには、薪が赤々と燃える「ジロばた」は、この上ない場であったことを思い出します。
また、スキー遊びのあと、ジロばたで食べた焼き芋の味も格別でした。
(写真は上樽本、昭和20年代の撮影と思われます。)
 
 
昔の味
昔の味
写真は45年ほど前、「ヤマモチ(山餅)」を楽しんでいる上樽本の農家です。
昔、秋の稲刈りが終えてハゼ掛け稲の脱穀も終わると、その年の収穫を祝って家族
みんなで山餅を楽しみました。
その年、春からの仕事を手つだってくださった方も招いて、一緒に祝うこともありました。

自家製の味噌に自然林で収穫したクルミ、収穫したばかりのゴマなどを刷り込んだタレを串さしに付けて、ジロ(イロリ/囲炉裏)で焼き上げます。
時には少し焼いてさらにタレを付けて、二度焼きした山餅の味と食感はまた格別でした。
大人たちが暗くなるまで田畑で働く毎日の姿を見ながら、年に一度、山餅が食べられるその日を子供たちは楽しみに待っていました。

 
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