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2014年2月2日(日) |
冬だより |
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豪雪地の樽本、軒下まで埋もれるほどの積雪は珍しくはないのですが、今冬は
今のところ精々1mほどとの知らせです。
屋根の雪おろしも大雪なら週に何回もするのですが、今年はまだ2回ほどとの
ことです。
写真の左: s33(1958)年2月下旬の樽本、生家の庭の積雪です。
半世紀ほど前の記録です。軒下まで雪に埋もれています。
真冬に帰省したおりに写した姉と姪たちです。
写真の右: この冬、拙庭に実るクチナシです。
昨年6月、甘い香りを漂わせた純白の花、見事な化粧直しの冬景色です。
もとは野鳥が運んでくれた実生で、2mほどに成長しました。
この冬、飛来している野鳥の餌になって食べつくされます。
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2014年1月20日(月) |
大 寒 |
大寒の今日(20)、軒下に置く寒暖計が氷点下 1℃ を指していました。
一月に入って三度目の氷点下、拙庭の池には初の氷がはりました。
一方、ふる里の樽本地方、年初めの積雪 50cm 未満との知らせでしたが、
最近、連日の雪報道が気がかりです。
大事ないことを願っています。
寒さ本番はこれからですが、自然は少しづつ春を呼んでくれています。
写真は、拙庭の早咲き梅です。 昨日(19日)の撮影です。
先に、この日記で元旦に初咲き一輪をご紹介した、あの寒梅です。
あれから ≒3 週間こんなに咲いて、ほのかな香りを放っています。
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2013年12月30日(月) |
良いお年を・・・ |
この1年間、拙作HPにお付き合いいただき、本当にありがとうこざいました。
もっともっと情報発信を、と思いながら過ぎてしまった反省の1年で゜した。
今年ふる里、樽本への里帰りは計4回。
里の過疎高齢少人数化はさらに進み、前途への懸念が増すばかりです。
時代の流れとは思いたくないのです。
写真は野趣の拙庭、今年実ったセンリョウとマンリョウです。
ヒヨドリ、メジロ、キジバトなど、野鳥に荒らされないよう糸を張っております。
どうぞ、良い年をお迎えください。
新年も、よろしくお願いいたします。
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2013年12月21日(土) |
季節はずれの花 |
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野趣の拙庭で今、姫リンゴが花を咲かせています。
この夏の高温で葉が痛み秋を待たずに落葉したので、一部のツボミが勘違い
したようです。
11月下旬からツボミがふくらみ始めていました。
今年の春の花から実った姫リンゴと並ぶ花の意外感、何とも不思議な風情?
です。
写真左: 12月 5日の撮影です。
右: 12月18日の撮影です。
ここのところの寒さ続きのせいか、花は長持ちしていて散る気配がありません。
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2013年12月2日(月) |
今 昔 |
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かつて樽本は、四つの集落で構成する豊葦 (トヨアシ) 村でした。
昭和の中ごろからの町村合併で妙高村、そして今は妙高市になりました。
その集落四つは上樽本、中樽本、下樽本そして土路(ドロ)で、当時、行政機関
の村役場と小中学校は中樽本にありました。
写真は豊葦村の当時、村の行政拠点のあった中樽本の昔と今です。
写真左: 1950年代中 (s30年) ごろと思われる中樽本の遠景です。
中樽本は昔から20数戸の集落で、写真のころはほぼ全戸の方々が
お住まいでした。
写真右: 半世紀以上を過ぎた2009(H21)年5月撮影の中樽本の遠景です。
過疎が進み今お住まいの方は、わずか一軒のみになりました。
行政機関も学校も、今は≒20km遠方になっております。
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2013年11月20日(水) |
思いがけない昔の写真 |
奥深い山里で永く続く農家が生家でしたので、家族の昔写真は極めて限られて
いました。
記憶にあるのは、先代などの遺影や兄たちの出兵の写真ぐらいでした。
s10年代前半生まれの私も、小学生時の記念写真が最も古い記録でした。
幼児期の記録はないものと思い込んでいましたが、最近、思いがけない写真が
届きました。
写真は、s18(1943)年ごろの撮影で私も写っています。
撮影の経緯はわかりませんが、背景の家は樽本のかつての生家です。
写っているのは 父(55才)、母(46才)、長女、五女、四男、五男(私) です。
私の兄弟姉妹は 「五男五女」 で計10人、私は五男の10番目。
撮影の時期と両親の年齢は、写っている私たちの姿からの推定です。
人生の貴重な記録の一枚になりました。
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2013年10月2日(水) |
そろって巣立ち |
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9月10日ごろ誕生した庭のキジバトのヒナ、10月1日、二羽そろって巣立ちました。
何年にもなる毎年の巣作り、今回、初めて外敵カラスの襲撃がなく育ちました。
写真は、10月1日の撮影です。
写真左: 庭の木陰にいる、二羽のヒナとエサを与えに戻った親鳥です。
野趣の拙庭の居心地がいいのか飛び去らず、庭木の手づくり茂みで
親鳥を待っています。
写真右: 二羽のヒナが巣立ち巣は、もぬけのからになりました。
ヒナたちへの気づかいから伸び放題だった庭木、やっと、剪定 (センテイ) に
取り掛かれます。
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2013年9月27日(金) |
まもなく巣立ち |
庭の藤棚に巣作りしたキジバト、産卵から≒2週間で9月10日頃にヒナ誕生。
その後、親バトのエサ運び≒2週間で、こんなに逞しく育ちました。
写真は、9月26日の撮影です。
ヒナは巣のはしに立ち羽ばたいて、日に何回も巣立ちの練習をしています。
時には欄間の窓ぎわまで、巣離れもしています。
二羽のヒナに成長差のあるのが気掛かりなのですが、とも角、そろって無事の
巣立ちを願って見護っています。
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2013年9月22日(日) |
ヒナはスクスクと |
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庭の藤棚で誕生したキジバトのヒナ2羽、スクスクと育っています。
先の日記でご紹介の頃は、親バトが二羽交代でヒナを抱き護っていました。
その数日後からは、二羽交互のエサ運びが忙しくなり撮影の機会もできました。
今年の巣は縁側の欄間から≒30cmの所にあって、藤とアケビの蔓(ツル)で
覆われています。
写真左は9月15日、右は9月20日の撮影です。
毎年、この頃からが外敵カラスの襲撃で危険な時期。
あと一週間ほどで巣立ち、カラスに見つからないことを願って見護っています。
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2013年9月14日(土) |
今年もヒナが誕生 |
毎年、冬はエサをねだりに夏は巣作りに飛来しているキジバト、今年も庭でヒナ
が誕生しました。
もう何年になるのか定かではないのだすが、仲の良いツガイのキジバトです。
この種は生涯連れ添うとのことで、年中二羽で飛来しています。
写真は、軒下の藤棚で誕生した今年のヒナです。 撮影 9月10日
外敵のカラスを警戒して親鳥は、ひと時の間もなく交代で抱卵~ヒナ抱き込みを
しています。
この写真は、まれな一瞬のチャンスでしたが、次のチャンスが中々ありません。
ヒナの成長と共に二羽交互のエサ運びの合い間が、カラス襲撃の時期。
昨年は一度目の巣作りでは全滅、二度目ではヒナの大怪我でした。
今年は何とか無事の巣立ちをと、見護っています。
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2013年9月1日(日) |
珍名な水草 |
8月中ごろ信州の旅のおり、地元農産品の直売所をたずねました。
農産品と別に珍しい名の水草を、ソフトプラ容器入り説明書付で買ってきました。
水草は水入り容器の中でみな、25mmほどの黄色い花を咲かせていました。
説明書の解説原文です。
水草名 ガ ガ ブ タ
越冬植物です。水中に浮かべておくだけてよい。冬も水の中だと枯れません。
黄色い花は1日でおわりますが次からつぎと咲きます。
その後、「 カガブタ 」 の名でネット検索、植物図鑑でも調べましたが 本名 でした。
ところが解説写真の全てが 「 白花 」、「 黄花 」 がまったくないのです。
写真は、拙庭の子メダカ用ミニ池での開花です。 撮影 8月23日
さらに調べるとガガブタは白花、黄花は別種 「 アサザ 」 とわかりました。
生育は自然豊かな環境の池や沼、生態系では似ていました。
一方、アサザについて思いがけない事が分かりました(以下要旨)。
・ 環境省レッドリスト 絶滅危惧Ⅱ類にランク
・ 湖底に沈殿した枯葉などの分解~栄養化の、高い環境浄化機能を保有。
効用事例の学術研究論文が海外に(オランダ)。
偶然に得たこの貴重な苗、大切に大切に育てようと思っています。
タネも採れていますので。
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2013年7月31日(水) |
アヤメ と ハナショウブ |
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2013年7月8日(月) |
かがやきショウブ園のアヤメ |
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2013年6月28日(金) |
妙高chTVで放送 |
6月13日の日記でご紹介しました 「ふるさと豊葦会の集い 第1回」 の当日には、
妙高市役所のご視察、地元ケーブルTV局の取材などもありました。
写真は当日、晴天に恵まれたオープン前のようすです。
写真の右方向、一段さがった所が 「かがやきショウブ園」 です。
地元住民まじめ、近隣や遠方から参加した樽本出身者の、皆さんの楽しまれた
ようすなどが地元TV「妙高ch」 で報道されたとの知らせを受けました。
さらに市役所様のはからいで、その後インターネット公開もされたとの知らせを
いただきましたので、ご紹介いたします。
当日の盛り上がりのようすなど、ご覧ください。『豊葦会の集い』。
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2013年6月4日(火) |
コゴミ |
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幾年か前、山菜ブームと言われる頃がありました。
その頃から樽本に、毎年、遠い地域からも多くの山菜採りが来ています。
山菜は野山の自生植物、田畑の栽培種ではありません。
このために所かまわず、また、根こそぎに採取する方も少なくないようです。
時には民家の軒下近くでも採取されて、住民と問答に発展、等の例も聞きます。
写真は、樽本の山菜 「コゴミ (クサソテツ) 」 です。
共に今年5月の姿で芽吹きは3日、伸びた方は18日の撮影です。
地元在住の知人が、写真を届けてくださいました。
遅い雪どけの後、いの一番に芽吹き初夏の頃には丈のある雑草に覆われます。
コゴミ採りは一株からの芽かきは精々2~3本まで、残りは翌年への株成長の
ために残すのがコツ。
もうチョッと採りたくても我慢してくださる、そのような山菜ファンの定着を願って
います。
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2013年5月23日(木) |
ふるさと豊葦会 の集い |
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昨年から活動を始めている、ふる里の有志の会から集いの案内が届きました。
ふる里の樽本は、かつては四つの集落で構成する 「豊葦(トヨアシ)村 」 でした。
地元では普段の会話で、今も豊葦地区と呼び合っています。
昨年、地元の有志による 「ふるさと豊葦会」 が発足して、樽本出身者の参加を
募り続けています。
活動を着実に進めて、昨年には 都立水元公園様 から ご支援をいただいて
「 樽本 かがやきショウブ園」 を完成しました。
写真は、「ふるさと通信 かがやき」 第2号です。
同会員に届けていただいている、ふる里の近況などが記された会報です。
今回は昨年の活動報告と近況、そして 「ふるさと豊葦会 第1回の集い」 の
ご案内でした。
樽本温泉の前広場で 6月9日開催 ( 温泉の営業は7月1日から )。
会費2000円で、竹の子汁、笹ずし、赤飯、おにぎり他
生バンドのステージ アトラクション
などなと゜。
懐かしい方々との再会を楽しみに、里帰りしてまいります。
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2013年5月10日(金) |
樽本の山菜 |
先回 (5/1) 日記に続き、樽本の春だよりの山菜です。
ふる里の懐かしい味と珍しい味をと知人が、また、届けてくださいました。
写真は、樽本で5月初旬に採れた山菜です。
コゴミのほか珍しい三種は、知人も察してご親切に名入りで送ってくださいました。
自生の姿は知っていましたが、昔の樽本では食べなかった山菜です。
ニワトコは木の芽、ヤブカンゾウは夏に美しい花が咲き、類似でニッコウキツゲ
などが知られています。
イラクサは樽本方言で 「ヤーマノバーサ」 と呼ばれる、つまり、「山の婆さ」 失礼
をかえりみずで 「嫌われモノ・・・」 です。
夏には 1m ほどになり、茎や葉と葉柄に小さな 「刺し毛」 が無数に。
これに触れると大変です。
チクチクと子供には、我慢の限界を超える痛みが続きます。
かねがね美味しいと聞いていましたが、知人は食べ方のメニューまでメールで
教えてくださいました。
イラクサのサクサク、ヤブカンゾウのシャキシャキ、そしてニワトコのサッパリ、と
それぞれの食感は言葉につくせない味わいでした。
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2013年5月1日(水) |
樽本の春たより |
樽本では4月下旬になって、ようやく梅が満開になったとの便りです。
4月20日には、あの寒波で雪が積もったとも。
まわりの山々には4月30日現在、残雪も多く寒い毎日とのことです。
ヤマザクラの開花をはじめ、春はうららの樽本 はまだ先の気候模様です。
写真は、樽本で4月下旬に採れた山菜です。4月28日の撮影です。
知人が、ふる里の懐かしい味をと届けてくださいました。
良質の土地がらの樽本、見事な成育ですが今年の春は特に遅く出始めの
山菜です。
コゴミ (クサソテツ)、 ホーキンポコ (フキノトウ)、モグサ (ヨモギ)の3種。
共に樽本方言で記しましたが、( )内が一般名です。
早速、初日は ゴマ和え、おひたし、そして翌日には 天ぷら料理でタップリと
懐かしい樽本の味をいただきました。
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2013年4月26日(金) |
樽本温泉 |
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冬は雪深い樽本温泉、冬季休業あけの5月1日に例年は営業を始めていました。
今年からは、営業開始が 7月1日 に変わったとの知らせです。
営業期間も例年は冬近い10月一杯でしたが、今年からは 9月30日 に閉じて
10月から冬季休業に入るとのことです。
写真は、樽本温泉の玄関前から数年前、5月16日に写しました。
例年この残雪と新緑の絶景、窓越しに眺めながら温泉を楽しめていました。
今年からは、この時期の景色を楽しめないのが残念です。
永い歴史を秘めたこの原風景、温泉がまだでも、お立ち寄りください。
樽本の5月、遅い春に目ざめた山々は、色とりどりの新緑に包まれます。
お宿はこのHPリンク先、斑尾高原のペンションとロッジがおすすめです。
このHPで知った、とおたずねください。
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2013年4月6日(土) |
高田ゴゼ |
ゴゼのご紹介、前回の続きです。
2006年から始めた諸先輩への 「樽本の昔」 取材の中で、樽本を巡回したゴゼは
二組と聞きました。
中高年の三人組と若い三人組であったとのことです。
私の記憶は中高年の一組で、一軒ごとに唄を歌い腰に下げた布袋に米をもらい
受けていました。
大人が野良仕事でいなければ、留守番の子供が米を与えていました。
写真は、「高田ゴゼの文化を保存・発信する会」 ご発行資料の一部です。
高田在住の知人のご協力で、このたび 「高田ゴゼの文化を保存・発信する会」
を知りました。
緻密な調べを長期にわたる同会のご努力、実に見事な歴史資料に感銘を受け
ました。
さらに先年、高田ゴゼの足跡を辿り続けている方を知る機会がありました。
昔と今を取材、写真記録してインターネットでご紹介されています。
「ゴゼ街道をいく」 がそれです。
2011年06月19日のブログでは樽本の取材を、タイトル 「夏・樽本峠 妙高市」 で
ご紹介されています。
ご覧ください。
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2013年3月25日(月) |
ゴ ゼ |
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ゴゼ、なじみの薄い言葉に感じる方もいるかと思います。
田植えが終わるなどの農閑期に、ふる里の樽本には毎年 「高田ゴゼ」 が来て
いました。
s20年代の子供のころのことでした。
先導役は目が見える芸人、その後に続く盲目の三味線弾きと歌い手、女芸人
いつも三人で来ていました。
家々を一軒ごとにまわって唄を歌い、米をもらっていました。
集落ごとに決まっていた 「ゴゼ宿」 には夜、村の老若男女が集まって唄を楽し
んでいました。
独得の 「ゴゼ唄」 もあったと、後に諸先輩から聞かされました。
物語り風、浪曲風、侍モノ等もあって、娯楽の少ない時代、ゴゼ宿の夜は人気
でした。
写真左: 最後のゴゼと言われた方。105歳で2005年に亡くなられました。
この方が樽本を巡回された姿お顔立ち、良く憶えています。
巡回のうしろを、村の中ついて回った記憶があります。
写真右: 最近、知人の求めでゴゼを調べる機会を得ました。
旧高田市 在住の知人の、ご協力ご努力で得た情報の一部です。
正調ゴゼ唄の後継者がいて公開演奏会など、ご活躍とのことです。
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2013年3月16日(土) |
冬の樽本 ⑤ |
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樽本の冬は近隣町村の中で、毎年一番とも言える積雪になります。
地域の地形が原因ではと、推測しているのですが。
地域の東西は1000m級の山並みで、南には最も高い山 「袴岳」 があります。
一方、北方向には山はなく≒30km先は、日本海に通じます。
その大きな溝形に近い地形の中に、樽本の四つの集落が点在しています。
日本海で湿った北風が、地域南端の袴岳でさえぎられて、などと想像しています。
写真は、樽本のシンボルとも言える 「 ハカマダケ(袴岳) 」 です。
写真右は、2008年5月7日の撮影です。
きれいに円を描いたような山が袴岳(1135m) で、樽本で標高が最も高い山です。
地元では、ただ 「ハカマ」 と呼んでいます。
ハカマに晩秋初雪の綿帽子で樽本の冬が始まり、遅く残雪が溶けてなくなる頃
ようやく、樽本に 「春はうらら」 の季節が訪れます。
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2013年3月9日(土) |
冬の樽本 ③ |
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新潟 ふる里地方にもようやく、雪予報が途切れてきました。
とはいえ標高の高い樽本、3月一杯はまだ油断ができません。
写真は、樽本温泉の冬と早春です。
届けていただいた今年の冬と、季節の違う私の写真です。
比べてみてください。
このような積雪のために樽本温泉は毎年、11月初旬~翌4月下旬は冬季休業
になります。
この店仕舞いと春の開業の日には、盛大なイベントがあります。
その日は地元はじめ、どなたでもご参加無料です。
この春にはゼヒお出かけください。
写真左: 今年の積雪は、ほぼ平年並みですみそうです。
写真右: 4月中頃ようやくの雪どけです。2008年4月18日の撮影です。
樽本の春は遅く、このHPタイトル 『春はうららの樽本』 の季節感は、もう少し先
4月後半頃からになります。
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2013年3月5日(火) |
冬の樽本 ② |
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暦の上では啓蟄 (ケイチツ) と言うのに、今朝も、ふる里地方には雪予報が
出ていました。
春はまだ遠く、樽本はまだまだ冬の真っ最中です。
このたび知人が届けてくださった冬の樽本と、季節の違う私の写真を合わせて
ご紹介します。 比べて見てください。
写真は、共に上樽本にありますお寺 『真宗寺』 の参道です。
写真左: 住んでいる方がいないため、参道の道付けもありません。
写真右: 少し離れて参道を写しています。 2009年5月9日の撮影です。
住民の激減で今はお寺に、住まわれている方、ご住職も住んでおられません。
浄土真宗本願寺派としてかつては、地域から近隣から多くの支えがありました。
子供のころのa20年代、真宗寺はお盆などの楽しい想い出の一つです。
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2013年3月2日(土) |
冬の樽本 ① |
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梅の開花ニュースの一方で、新潟地方には大雪予報が続いています。
山里の樽本も、毎日のように吹雪との知らせです。
久しく晴れた2月の週末に、「冬の樽本」 を写しに行かれた方から写真が届き
ました。
その方は樽本出身で近くに住み、ふる里の方々と連携を続けておられます。
その写真入りCDの中から何枚かを、何回かに分けてご紹介いたします。
写真は、共に標高≒800m の樽本峠からの撮影です。
写真左: 県道 97号線の先には、上樽本 (標高690m) と 中樽本の各集落、
さらに≒30km 先は日本海に通じます。
写真右: 同地点からズームアップした中樽本で、かつては20数軒の集落で
した。
遠くその先は、旧 新井市~旧 高田市そして日本海に通じます。
樽本峠の頂上を通る 97号線は、旧 高田市~樽本集落~長野 飯山市に通じ
る幹線の一つで、豪雪の冬でも整備されて車の通行ができます。
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2013年2月20日(水) |
ままよ会 |
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このHPトップPでご紹介しています 「ままよ踊り唄」 と 「樽本音頭」 は、共に
樽本に昔から伝わる樽本固有の盆踊り唄です。
ままよ踊り唄は、戦前のはるか昔から樽本で親しまれています。
その発祥の記録は、今も見つかっていません。
一方の樽本音頭は戦後、戦地から復員した樽本の方によつて作られました。
樽本が活気に満ちていたs20年代、老若男女がこの二曲の盆踊りで大いに
盛り上がっていました。
その後、若者が夢を求めて都会に出る時代の波は、樽本も同じでした。
s40年代に移り、ふる里を懐かしむ樽本OBの集まりが東京にできました。
集まりの場ではいつともなく、ひと時、盆踊りを楽しむのが常になりました。
s44年には名称も 『ままよ会』 と改め、同年5月に第一回が開催されました。
会員が100名ほどになった一昨年12月、ままよ会の第19回が開催されました。
そして最近、第20回の年内開催を進める動きが始っております。
写真は、ままよ踊り唄 の20番までの原詞 と ままよ会 の名簿です。
なお、ままよ踊り唄と歌声は、このHPトップPでご案内しています。
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2013年2月5日(火) |
樽本の雪景色 |
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ふる里の樽本は今、毎日、雪とたたかっています。
今年は昨年ほどの積雪ではないようですけれどTVの予報では連日、樽本地方
に雪ダルマが鎮座しています。
そんな中、この冬の雪景色の写真が届きました。
少し前、12月中ごろの撮影ですけれど、言葉ではつくせない美しい風景を
ご紹介します。
写真は、樽本温泉の玄関前からのながめです。
写真左の前景、平らな真っ白な雪の下には昨年7月~8月、このオジの
日記でご紹介の 『 樽本 かがやきショウブ園 』 があります。
写真右の遠景、山の頂上には歴史的な遺跡 『 マガクシ(馬隠し) 』 と
『 ジョウビラ(城平) 』 があります。
写真左右の遠景、山までの距離は樽本温泉の玄関前から、直線で
500mほどです。
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2013年1月23日(水) |
越後富士 |
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越後富士の名もある 妙高山(2454m) の雪化粧、この冬の写真が届きました。
樽本への最寄り駅、JR信越線 関山駅近くからの撮影です。
樽本はこの駅から≒18km 奥深い山里ですが、真冬でも車往復は可能です。
昔、樽本のしきたりに、「 大山めいり(参り) 」 がありました。
毎年7月23日この日に、村の青年会の男ショ(衆) だけが必ず妙高登山をして
いました。
女ショ(衆) は登るもんじゃネェ、と言われて行きませんでした。
村には四つの集落があり、集落ごとに集団で登っていました。
徴兵検査前や復員した人など、若い人が沢山いて青年会など活気のある時代
でした。
写真は、最近撮影の妙高山と関山駅近くの雪景色です。
今年はまだ、昨年ほどの積雪にはなっていないとの知らせです。
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2012年12月15日(土) |
雪だより |
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TVニュースなど新潟地方の雪だよりで、樽本も大雪ではと案じていましたが、
少な目の積雪≒1mとの電話情報でした。
ご高齢の方々が特に多い樽本の屋根の雪下ろしは、この冬はまだ一回もせず
に済んでいるとのことです。
最近の大雪は樽本での子供のころ耳にした、「しも雪*」 の状況にあるようです。
* しも雪: 樽本から見ての日本海方面を、樽本では 「しも (下) の方」 と呼び
ます。
ニュースでは、「日本海側は大雪」 と伝えています。
最近の大雪は湿り気が多く重いため、奥まった山里の樽本に届く
以前に日本海付近に降ってくれているようです。
写真は、JR信越線 関山駅近くでの最近の撮影です。
積雪≒50cmとのことです。
樽本へのアクセスは関山駅から≒18km、デマンドバス あるいは TAXI
に
なります。
例年の今ごろは初雪が降っても数10cm。
初雪は一先ず消えて、しばらくして根雪がドカッと降るのが樽本の冬でした。
今年は晩秋もなく、早々と一気に真冬が来たとなげいておられます。
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2012年11月28日(水) |
朝の散歩道で。 |
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近くに少し残る緑地や農地の周りを、日ごろの散歩道にしています。
その道すじで出会う、季節の移ろいを日々の楽しみにして散歩をしています。
その一つが晩秋の雑木に実る 「 カラスウリ 」 で今年も、ふる里の樽本を想い
起こしています。
写真の左は、散歩道で数日前に写したカラスウリです。
秋ふかしを実感する見事な実りでした。
いつともなく野鳥の餌になり、姿を消してしまいます。
写真の右は、ふる里の樽本に自生するカラスウリです。
数年前の10月下旬に写しましたが、姿・色合いが全く異なります。
一回り小さいテニスボールほどで、熟しても濃い黄色一色です。
熟す前の色合いと表面模様などは、スイカのミニチュアとも言えそうです。
葉型も花の姿も、関東のそれと同じなのですが。
このようか違いは小さな生きモノ、自生の草花などにもありますので、散歩が
続けられる一つの原動力にもなっています。
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2012年11月14日(水) |
サルノコシカケ |
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野山に自生するキノコの殆どの種類は冬には姿を消しますが、中には何年も
成長を続ける種も見かけます。
その一種が 「サルノコシカケ」 で、豪雪地 樽本の奥深い樹林でも外形 40cm
を超えてなお成長を続けていました。
またサルノコシカケはガン治療に有効と、かつて話題になりましたが最近は
余り聞きません。
どのような活用方法と効用なのか、気になるところです。
写真は、そのサルノコシカケで共に11月13日の撮影です。
左の上: 外形max415mmあります。10数年前、樽本の樹林で見つけました。
表面には、樹木の年輪に似た模様があります。
左の下: 樽本の樹林で、黒く硬く石化に近い枯れた状態で近年見つけました。
全体が八層で、一体を構成しています。
共に今は、室内に飾っております。
右の写真は、日ごろの散歩道で3年前から、成長を観察し続けています。
この切り株の枯れる前は、ドングリが沢山実る大木でした。
数年前までは、クワガタやカブトムシが良く採れた樹でした。
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2012年10月24日(水) |
オリジナル音楽 |
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このHP オリジナルの専用音楽ができたご案内を、9月29日の日記でいたし
ました。
当初のご紹介は 「おとぎの森」 、新作の < ファンタジア 『 叙景 』 > のみでした。
このたび、すでにご紹介中のムービーにも対応しましたので、ご案内いたします。
このオリジナル音楽は 『 おとぎの森 』、次のムービーでお聞きいただけます。
① 新たな対応: プロローグ 『 情景 』
② 新たな対応: 『 追憶・いざない 』
③ 当初に対応: ファンタジア 『 叙景 』
③は①と同じ音楽ですけれど、編曲・作曲・演奏は ① の 『 情景 』 ストーリー
画像からイメージを得たと、作者からお聞きしています。
また②の音楽は、②の 『 追憶・いざない 』 ストーリー画像がイメージとお聞き
しています。
「おとぎの森」 では、造形作家 西山 博氏の 「 どんぐりアート 」 作品を、奥深い
山里 樽本の今昔・自然と共にご紹介しています。
西山アートの空想・童心回帰を誘う素朴さなど、ホッとする癒しのひと時が
お伝えできればと願っています。
・写真は、樽本温泉の前庭から晩秋の眺めです。
左: 2009年10月16日の撮影です。
右: 2007年11月 3日の撮影です。
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2012年9月29日(土) |
オリジナル曲 |
このHP 「春はうららの樽本」 専用の、『オリジナルのメロディー』 ができましたの
で、ご案内いたします。
トップページからご案内しています 『おとぎの森』 で、使用スタートしました。
この曲は造形作家 西山 博氏の 「どんぐりアート 」と、樽本の奥深い山里の
自然をイメージして編曲・作曲されています。
写真は、西山 博氏 アート集から 「どんぐりアート」 です。
このオリジナル曲の初使用は おとぎの森 << ファンタジア 『叙景』 >> で、
ご紹介しています。
ご協力くださった方は妙高市ご出身で、多種の楽器演奏をはじめ幅広い音楽の
編曲ほかで、ご活躍をされています。
この先 『おとぎの森』 で、広くとり入れてまいります。
このステキなメロディーの曲名 「名付け親」 になってくださる方、いらっしゃい
ませんか。
ご連絡をお待ちしています。
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2012年9月14日(金) |
オオスズメバチ |
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今年も軒下に巣作りしたアシナガバチを、これまで2回 ( 5/31 と 6/18 ) この
日記でご紹介いたしました。
毎年のように巣作りするのですが目立つ大きさになると、いつもカラスに襲われ
ていました。
今年は軒下の奥まった所で、今も力強く 「 補修と増築 」 を続けています。
最近のこと、働きバチがセッセと子育てしている巣を 「 オオスズメバチ 」 が
襲い、大きな被害が出ました。
この強敵は親バチには目もくれず、ハチの子 (幼虫) を食い荒らします。
初日は長い棒で追い払ったのですが、何回払っても舞い戻り全く効果なし。
2日目も全く効果なく、そこでヒラメイタのが強力掃除機での吸い取る策でした。
写真左: 食い荒らされた巣の補修と新たな子育て中のアシナガバチ家族です。
巣の外形は≒70mm ほど。9月13日の撮影です。
写真右: 掃除機で吸い取り捕獲したオオスズメバチです。
40mm 近い大形でした。
刺されると、人の命にも関わる危険なハチと聞きます。
樽本での子供のころ、ジバチ (クロスズメバチ) やアシナガバチなどの巣を
採って、飼育して毎年のように楽しみました。
ただ、オオスズメバチだけは怖くて、手出ししていません。
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2012年9月7日(金) |
樽本 『 かがやきショウブ園 ④ 』 |
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樽本 「 かがやきショウブ園 」のステキな演出を、8月20日、新潟県立新井高校
美術部の皆さんが同顧問のご指導のもとで完成してくださいました。
この演出は同美術部が 「ふるさと豊葦会」 に、7月、次のコンセプトでのご提案
で実現しました。
・遠くから見ても分かりやすいデザイン。
・田園風景にあったデザイン。
写真左: 新井高校 美術部ご提案の、ラフスケッチ デザインの一部です。
写真右: 8月20日、描き上げ完成作品とお揃いの皆さんです。
自然の原風景が残る樽本に調和したイメージで、この先、樽本を訪れるお客様
にショウブ園を演出・案内してくれます。。
美術部の皆さん、本当にありがとうございました。
樽本温泉にも、ぜひまたお出かけください。
【 同美術部の了解を得て写真を掲載しました。 】
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2012年8月30日(木) |
樽本 『 かがやきショウブ園 ③ 』 |
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2012年8月26日(日) |
樽本 『 かがやきショウブ園 ② 』 |
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2012年8月23日(木) |
樽本 『 かがやきショウブ園 ① 』 |
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2012年7月28日(土) |
ハナショウブ植えつけ ③。 |
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多くの方々の参加を得て、7月10日と13日に植えられたハナショウブはこの先、
地元有志の新たな集まり 「ふるさと豊葦会*」 によって管理されます。
ショウブ花苑が楽しめるのは、本格的な開花は3年目以降になります。
特に順調に根付いた苗株の一部に、来年の開花が期待できるかも知れません。
3年後以降には、東京都立 水元公園 様のショウブ苑と同じ花が期待されます。
このたびの苗株は、あの華麗な花々から株分けをしていただきました。
写真は、二回目の植え付け7月13日の撮影です。
写真左: 朝、曇り空でしたが、連山までくっきりと見えていました。
写真右: 昼すぎには高地特有の濃霧、そして夜、ひと時はげしい雨となり
苗株には絶好の湿りになりました。
* 『 ふるさと豊葦会 』
「ふる里を求める」 多くの方の参加をお待ちしています。
樽本OBでない方も、どうぞ、ご入会ください。
お声掛けいただければ、ご案内いたします。
( 樽本のオジ(ryuzi): 小出 隆二 )
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2012年7月20日(金) |
ハナショウブ植えつけ ②。 |
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2012年7月16日(月) |
ハナショウブ植えつけ ①。 |
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2012年7月10日(火) |
ハナショウブお譲り受け。 |
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2012年6月30日(土) |
樽本にハナショウブを。 |
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ツユの季節花といえばハナショウブ (花菖蒲) ですけれど、その花の最盛期も
そろそろ過ぎるツユ明け間近になりました。
日本的で優雅なハナショウブは、その花は何100種類と言われています。
このたびハナショウブのステキな話しが、樽本にスタートしました。
樽本には今、過疎化で休耕の畑と田んぼがたくさんあります。
そこを活かして 「ハナショウブ景勝地」 にするアイディアで、地主のご理解も
いただきました。
この構想を都立 水元公園 がご理解くださり、ご支援をいただけることになり
ました。
写真は、水元公園 冬のハナショウブ苑です。2月15日の撮影です。
都立 水元公園のハナショウブ苑は特に有名で、その中から試験植栽用を譲与
いただけることになりました。
また地元の妙高市からも、その譲与受け手続きなどでご支援をいただきました。
標高が高く豪雪寒冷地の樽本での、ハナショウブの適応力テストが最初の
取り組みです。
7月中ごろに苗株お譲り受けで、樽本から上京されます。
写真は水元公園に、お打ち合わせで訪問した今年冬の ハナショウブ苑 です。
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2012年6月18日(月) |
どんぐりアート 『 おとぎの森 』 |
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この日記で先に(5/22)、造形作家 西山 博氏 をご紹介いたしました。
そして、西山氏の 「どんぐりアート作品」 をもとに、このHPに 『おとぎの森』
新設をご案内いたしました。
西山氏は作品づくりに取り組みつつ、数々の作品をドラマ仕立てにされて写真
にも収めておられます。
中には、CGによる画像演出の作品もございます。
このたび西山氏ご本人撮影の作品写真をもとに、このHPて゜
『おとぎの森 ♪♪どんぐりころころ』 シリーズをスタートいたしました。
ご意見ご感想、そしてシリーズ作りへのヒントもお寄せくださると嬉しいです。
この先の、更新に役立てさせていただきます。
写真左は、西山氏ご撮影の 『西山アート』 たちの一部です。
写真右は、軒下に巣作りしているアシナガバチで、6月18日の撮影です。
この日記で先に(5/31) ご紹介後、こんなに大きくなり働きバチも
一匹生まれました。
女王バチと共に、セッセと子育てしています。
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2012年6月5日(火) |
ウツボグサ |
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s20年代の中学生のころ、少年団の野球具を買うために皆で薬草採りをしました。
少年団は中学生から全員加入して、神社参道の草刈などもやっていました。
ゲンノショウコ、ドクダミ、ヨモギ、ウツボグサ等などを採り乾燥させ、三年生が
取りまとめて隣町 (今の飯山市) に売りに行きました。
その代金でグローブやミット、ボールなどの野球具を買って帰るのでした。
野球は当時の日本で、ようやく人気が出始めていました。
【 写真は、ウツボグサです。6月4日の撮影です。】
写真の左は、樽本から昨年7月に移植して咲いた今年の花です。
これまで何回か試みましたが上手く行かず、今回ようやく定着
しました。
写真の右は、昨年7月里帰りで写した、観音堂(観音さま) 軒下に咲く
ウツボグサです。
この中から数本を拙庭に昨年移植しました。
ウツボグサは、樽本の農道脇や田んぼのアゼなどに群生する雑草の一種です。
昔の武士が矢を入れて持ち歩く 「ウツボ」 に、花の穂が似ていることが名付け
の由来と言われています。
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2012年5月31日(木) |
アダ名 |
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蜂の巣を採ることが子供のころの、大きな楽しみの一つでした。
中でもジバチ(*) の巣を春のうちに採って、手作りの巣箱で秋まで飼うのが
好きでした。
*: 正しくは「クロスズメバチ」。地中に巣をつくる15mmほどの蜂。
秋には何段もの重層の巣となり、蜂の数は数百匹以上にも殖えます。
蜂に顔面などが刺されて、ポッコリとはれ上がった顔で登校したことも何回か
ありました。
このため 「ハチ採り○○」 と、アダ名を付けられたほどでした。
写真左はユキノシタ、右は軒下に巣作りしているアシナガ蜂です。
5月30日の撮影です。
蜂に刺された所にユキノシタの葉を良くもんで貼るといい、と聞かされて
いましたが効果があった記憶はありません。
毎年のように軒下に巣作りしてくれるアシナガ蜂とユキノシタの花咲くこの
時期になると、子供のころの樽本での蜂の巣採りの記憶がよみがえります。
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2012年5月27日(日) |
樽本の自生植物 |
樽本の歴史や自然、生活風土などを2006年から3年間、樽本在住の多くの先輩
からお聞きする機会をいただきました。
この取材結果が、このHPの源になっています。
子供のころの生活では体験できなかった事、また知らなかった事をたくさん教え
ていただきました。
その一つは他の山里に例がないほど、樽本に自生する植物の種類が多いとの
専門家の調べ情報でした。
もう一つはモミジと松ノ木が、樽本には自生していないと言うことでした。
確かに樽本の山々の紅葉の色合いから、モミジの木がないことを再認識しました。
また樽本で松ノ木が見られる所は、このHPでご紹介している 「歴史の跡」 に
限られることに関心を強めた次第です。
【 写真は、サイハイランです。5月24日の撮影です。】
花の並ぶ姿を戦国時代に大将が振った、「采配」 に見立てて名づけたと
伝えられています。
樽本の生家裏山 (標高≒800m) の、歴史の跡の近くから移植しました。
シュンランと共に、この歴史の跡のほかでは見かけたことがありません。
松ノ木と同じく、歴史の時代にさかのぼる経緯があるのかも知れません。
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2012年5月22日(火) |
どんぐりアート |
造形作家 西山 博氏の 「どんぐりアート」 との出会いは、3年ほど前のことでした。
作品と共に知人から、ご紹介を得たのが始まりでした。
子供のころ心おどらせた昔ばなしや、童謡・童話の薄れ掛けていた記憶が
そこにありました。
ほのぼのとホットする癒しの木の実たち、一級建築士の同氏の偉才に目を
見張りました。
歌ったり踊ったり、今にも話しかけて来そうな 「西山アート」 に、その時から
スッカリ とりこになり工房をたびたびお訪ねしています。
このたび樽本ふる里への想いを、懐かしさを連想させてくれる西山アートに重ね
合わせて、「どんぐりアート おとぎの森」 ページをこのHPに新設しました。
s30(1955)年前後からの、ふる里の写真も使いつつ折々に更新してまいります。
西山作品の個々へのネーミングなど、ご参加いただけるとありがたいです。
【 写真は、クレマチスです。5月10日の撮影です。】
樽本の親戚の庭にs20年代から咲いていた株を、近年分けていただき庭に
移植定着してくれました。
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2012年4月27日(金) |
4月の花 |
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野趣の庭づくりを趣味ではじめて、四半世紀よりはるか遠くに過ぎました。
この間、職人の手を一切借りずにやっているために、失敗例も数多くありました。
一方、成功例では子供のころの想い出で、樽本から移植した草木があります。
また都内の園芸店で求めた珍しい品種でも、幾種か成功しています。
【 写真は、今年も咲いてくれた庭の花で4月中旬の撮影です。】
写真の左は、7~8年前、都内デパートで求めたクマガイソウです。
求めた時にはわずん2本の苗でしたが増えて、今年もこんなに
咲いてくれました。
右後方には樽本から移植の、マムシソウも咲いています。
写真の右は、ニリンソウとイカリソウです。
ニリンソウは、樽本の群生地からの移植です。
イカリソウの白花は樽本からの移植、紫花は関東の自生種です。
ニリンソウは、田畑近くや道ばたなど、方々に群生地があり山菜にもなります。
イカリソウは、かつては樽本の道ばたなど、どこででも見られる花でした。
いち時期の漢方薬人気の乱獲で激減、今はわずかに山深い
急斜面などに残り咲いています。
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2012年4月21日(土) |
珍しい花 |
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竹や笹は寿命がくると花を咲かす、と子供のころから聞かされていました。
樽本の山にも曲がり竹が自生していますが、樽本では竹の花をみたことが
ありません。
【 写真は、竹の花で4月21日の撮影です。】
散歩コースの近くのお家の塀ぎわで、小さな竹の花が 「満開」 です。
風にゆられるその風情は、なんとも可憐です。
竹と笹は半世紀近くに一回咲くと、ネット上にもありますが確かなことは分かり
ません。
また竹と笹の違いについても、確かな答えが見当たりません。
笹寿司、笹ダンゴなどに使われる 「幅広の葉」 をつける種が 「笹」 、と俗説を
考えて見ました。
いかがでしょうか。
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2012年4月13日(金) |
樽本の花 (春の芽ぶき) |
ふる里の樽本は、今もまだ山肌は残雪で白く埋めつくされています。
一方、こちらは樽本から移植した草木の芽は、もう、こんなに伸びました。
【 写真は、庭で今日4月13日の撮影です。】
写真前方の4本は、樽本方言でヤマナと呼ぶ山菜です。
正しくはソバナと呼び、このオジの日記2月12日でもご紹介しました。
昨年は2本立ちでしたが、今年は4本の株立ちに増えてくれました。
写真の後方は、かつて樽本の裏山に群生地があったヤマシャクヤクです。
樽本在住の親戚 (現在88歳) の庭から3年前、譲り受けた数本が成長
した姿です。
この年 (2009年) の春、里帰りでヤマシャクヤクの花撮影のために裏山
に登りました。
かつての群生地には、1本も見当たらず絶滅していました。
心ない山野草マニアによる被害と思われる痕跡がありました。
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近況でございます。
昨年9月の入退院から半年で、10日から検査入院して昨日12日に退院しました。
経過良好でしたが、再発予防のカテーテル治療で2本目のステントが入りました。
退院翌日の今日から、不自由のない普段の生活に戻っております。
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2012年4月8日(日) |
このHPづくり |
PC教室を初めて訪ねたのは、2009年4月のことでした。
ふる里のHPをつくりたくて、ご指導の可能性を相談するのが目的でした。
当時、PC操作は精々、WordとEメールをこなせる程度の自力レベルでした。
数年間かけた 「樽本」 取材の記録を見ていただき、ご相談をしました。
ご理解をいただき2009年5月から受講を始めて、2011年9月まで続きました。
ご指導内容・手順は全てフローチャート化して、A4紙50数頁に残しています。
日々のページ更新などは、このフローチャートを手引きに全て行っています。
このHP拡充で受講再開を考えていた昨年、PC教室の閉業を知りました。
幸い、このHPづくりの基礎から一貫してご指導くださった先生が、このたび独立
されたとのご案内をいただきました。
【 写真は、新たに開業されたパソコン教室です。】
このHPの拡充・改善などの、昨年後半からの懸念が解消することが
できました。
近く、受講再開を予定しています。
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2012年3月27日(火) |
樽本の花 (晒菜升麻) |
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「サラシナショウマ」 の名前と漢字表現を、書籍調べで知りました。
薄明かりでのながめに、不思議な妖しい美しさのあるのが魅力とされています。
s20年代子供のころの記憶では、牛馬の餌にもしない名もない雑草でした。
背たけは大型で1m近く、純白な花穂は≒30cmもあります。
夕方などでもひときわ目立つ花で、愛好家も多いと書籍にあります。
【 写真は、樽本の晒菜升麻 (サラシナショウマ) です。】
樽本ではお宮の神木や石階段の近く、樹木が茂った沢ぞい、北向きの
道ぞい、などに茂る野草の中でひときわ背高く誇らしげに咲きます。
9月15日、樽本のお祭りで帰ったときの撮影です。
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2012年3月11日(日) |
樽本の花 (ヤブカンゾウ) |
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ヤブカンゾウは樽本の農道ぞいや田畑の土手など、いたる所で7月中ごろから
咲き出します。
大型で見事な色合いの花のわりには、野草として粗末に扱われていたのは
強い繁殖力のせいかも知れません。
( ニッコウ ) キスゲやノカンゾウに似ていますが、これらの花弁は一重でタネが
実ります。
ヤブカンゾウの花は八重咲きで、タネはほとんど実らずに地下茎でドンドン繁殖
します。
【 写真は、樽本のヤブカンゾウです。7月29日の撮影です。】
樽本温泉の前の道ぞい、民家裏の土手に群生して咲いていました。
花は、前夜の雨しずくで一段と色あざやかでした。
2009年に里かえりしたおりの撮影です。
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2012年3月4日(日) |
春、探訪 |
昨年12月28日の日記 「ミカン狩り」 で予告いたしました菜の花畑、春の訪れ
ぐあいを見に行ってきました。
菜の花はシッカリと茎を伸ばし、ツボミをたくさん付けて咲きはじめていました。
【 写真は、3月3日撮影の菜の花です。】
3月の中頃には満開になり、一面が黄色いジュウタンに敷きしめられます。
さらに周りには昨年 「早咲き桜」 300本が植えられましたので、この花見
も一緒に楽しめそうです。
3月18日(日) には 『 しのくぼ菜の花・桜祭 』 が開催され地域グルメ、
餅つき大会などなど、入場無料でお待ちしています、とのことです。
菜の花をはじめミツバチ飼育など、半世紀よりもっと前から始めた趣味の週末
園芸でした。
その趣味が高じて今年1月、農業法人 (下記) として登録がなされたと聞きます。
・ ふるさと農園 四季の里 『 蜂花苑 (ほうかえん) 』
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2012年3月2日(金) |
樽本の花 (シシウド) |
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シシウドは樽本方言で、「○○セリ」 と呼んでいましたが思い出せません。
色あざやかなアゲハ蝶の幼虫が、シシウドの葉を食べているのを良く見かけ
たs20年代子供のころの記憶があります。
牛や馬、ヤギなど家畜たちは、多種の野草の中からシシウドは食べなかった
ように思います。
葉の味にクセがあったのかも知れません。
9月には人の背たけを超すほどに伸びた茎先に、ひときわ目立つ真っ白な花を
たくさんつけます。
【 写真は、樽本のシシウドです。】
数年前、お宮さまの祭りで帰った9月15日の撮影です。
この日記2月26日 「ウバユリ」 の場所から、川を挟んで反対側の土手に咲いて
いました。
山菜のウドとは別種で樽本では食用にしないのですが、漢方の薬草用途が
あると聞きます。
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2012年2月26日(日) |
樽本の花 (ウバユリ) |
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2012年2月20日(月) |
樽本の花 (ウツボグサ) |
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樽本のウツボグサは6月下旬~7月中旬、田んぼの畦 (アゼ) ぎわや道端など
に群生して咲きます。
樽本の方言では、「ネコの・・・」と呼びましたが思い出せません。
ご記憶のかた教えてくだせさい。
【 写真は、樽本のウツボグサです。】
H23年7月10日、観音さま近くでの撮影です。
密生する雑草の中にしげる多年草で、地面をはった茎先から垂直に
20cmほど伸びて花をつけます。
下の方から咲き出して、たくさんの花が3~4cmの円筒状に咲き満開に
なります。
円柱状の花形が、昔、武士が矢を入れて運んだ道具 「ウツボ」 に似ていること
が、花名の由来とモノの本にありました。
s20年代子供のころ、この円柱状の花を大量に摘み取って日干しして薬草材と
して売った記憶があります。
山菜として、天ぷらなどで食べる地方もあると聞きます。
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2012年2月12日(日) |
樽本の花 (ソバナ) |
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写真は、樽本のソバナ (ヤマナ) です。
ソバナは生家の裏山、雪どけを待っていたかのように春はやくに2~3本づつ、
ヒッソリと芽吹きます。
樽本方言では 「ヤマナ」 と呼ぶ山菜です。
コゴミ、ゼンマイなどの低地の山菜とは異なり、樽本のヤマナは山腹から上の
急斜面や木も育たない絶壁などに芽吹きます。
s20年代子供のころ、早春の山遊びでの貴重な収穫山菜でした。
摘むとにじみ出る白い液が、手や衣服につくと取れにくく苦心した記憶があり
ます。
子供のころに、おひたしにして夕食に添えてもらった日を想い出します。
名前の由来には、葉が蕎麦 (ソバ) の葉に似ている、山の傍 (ソバ) に生える、
などの諸説があるようです。
写真は何年か前のこと、樽本から移植して庭に根付いた若芽 (3/17) とその
花 (6/24) です。
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2012年2月7日(火) |
樽本の花 (フキノトウ) |
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近年にない豪雪で 「妙高市関山」 の積雪が、TVなどで連日報道されています。
ふる里 「妙高市 樽本」 は、その関山から20kmほど奥深い山間地にあります。
樽本地域は袴岳 (ハカマダケ 標高1135m) と斑尾山 (マダロサン 標高1382m)
の北側にあります。
この二つの高い山に日本海で湿った北風が、もろにブツカッテ樽本に大雪を
降らせています。
このため樽本は有数の豪雪地で、厳しい連日の対応に住民の方々が追われて
います。
ご高齢の方が多くなっている樽本、皆様のご無事を祈っています。
【 写真は、樽本のフキノトウです。】
フキノトウは、樽本方言で 「ホーキンポコ」 と呼びます。
写真左は先の豪雪年 H18年の5月16日、田んぼの畦での撮影です。
右は平年積雪であった H21年5月9日撮影の、ホーキンポコの実りです。
写真左より一週間早く写した右は、すでに開花も過ぎてタネの実りにまで
成長でした。
豪雪記録が更新しそうな今年の樽本は、H18年の写真より更に遅い春に
なりそうです。
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2012年1月31日(火) |
樽本の花 (ニリンソウ) |
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2012年1月24日(火) |
樽本の花 (ミズバショウ) |
樽本は昔から、「1000年の歴史が眠る里」 と言い伝えられています。
それを裏付けるように樽本に点在する遺跡、遺物、遺構を新潟県が埋蔵文化財
に指定しています。
指定された埋蔵文化財は、その後も殆どが野積みのままで、中には豪雪と風雨
で破損が進んでいるものもあります。
後世に伝え残す取り組みが、急がれる状況です。
【 写真は、樽本のミズバショウです。2006年5月中旬の撮影です。】
ミズバショウ (水芭蕉) は雪融けと共に咲く、春一番花と言われます。
豪雪地の樽本では雪融けを待てず、残雪の中でツボミを伸ばし遅い雪融けを
待ちます。
写真は樽本峠近く、群生地での遅い春の撮影です。
このHPのフォトギャラリー「樽本の空からご案内します」 の中で、 ムービーで
ミズバショウをご紹介しています。
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2012年1月19日(木) |
樽本の花 (ヤマザクラ) |
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2012年1月15日(日) |
樽本の花 |
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3年前、このHPを始めた時にはブログ 「樽本の花と自然と思い、つれづれに」
もお届けしていました。
それを≒8ヶ月で中断、替えてこの 「樽本のオジ(ryuzi)の日記」 をスタートし
ております。
そのブログで使用の写真とご案内をもとに、改めて 「樽本の花シリーズ」 を
お届けいたします。
樽本は、東西南を標高700~900mの山々に囲まれた奥深い山里で、冬には
総てが数メートルの雪に覆われます。
その雪どけを待って活きかえる山野の花を、ストック写真も加えてご紹介します。
始めは、かつてのブログ初回と同様に 「ユキツバキ(雪椿)」 です。
生家の裏山に群生する雪椿が、早春、雪どけを待てず斜面の雪をはねのけて
咲き出します。
鮮やかな黄色と真っ赤な一重の可憐な花が、なよなよとした枝先に咲きます。
日本海側のやや標高のある豪雪地の自生種で、「新潟県の木」 にも指定され
ています。
写真は、ジョウビラ(城平) の樹林で 2006年5月16日に撮影しました。
「空からご案内」 の中でもご紹介しています。
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2012年1月10日(火) |
スズメ |
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人と共生する代表的な野鳥に、スズメとツバメが良く話題になります。
樽本生活の子供のころ、スズメやツバメがどこの家にも巣作りしていました。
昨年も樽本に里帰りしたおり、見掛けたスズメとツバメはホンノわずかでした。
この傾向は過疎が進む山里などで、特に顕著と新聞にありました。
近年、この傾向が都会にもあることを、身近で実体験しています。
写真は、庭の餌場に群れるスズメです。
画質が良くないのですが、3年前(2009年)冬の撮影です。
趣味の一つで冬になるとメジロ、シジュウカラ、キジバト、スズメなどの餌場を
毎年作って野鳥観察を楽しんでいます。
中でもスズメは数が多く朝昼夕刻に、いつも20~30羽が群れて来ていました。
その状況が3年ほど前から様変わりして、昨年には多い時でも10数羽に減って
いました。
更にこの冬は1月7日にようやく2羽初飛来、その後も4~5羽止まりの激減状況
になっています。
日課の散歩コースの住宅街でも、この冬はスズメをほとんど見かけません。
一つには近年の家構造に、スズメが巣作りするすき間がないのが原因と新聞
にありました。
何か、複雑なさびしい思いをしているのは私だけでしょうか。
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2011年12月28日(水) |
ミカン狩り |
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東名高速の大井松田IC近くで、ミカン狩りの一日を楽しみました。
地元の農家から借りて、週末農園を営んでいる身内の招きでした。
この時期、首都圏在住の身内が集まる恒例の行事で、今年は夫婦・親子・孫
連れなど7家族14人の参加でした。
すでにミカン山の穫り入れは終えて、鈴なりの1本だけ残してくれていました。
一つも残さずに穫るのが来年に備える木のため、と言われて軽トラック満載の
収穫でした。
収穫したミカンは、いつものように参加家族みんなで分けいただきました。
この日の気温は日中で2℃、ひと時ミゾレも降る寒い曇り空の一日でした。
【 写真は、当日のミカン狩り風景です。12月23日の撮影です。】
写真後方の緑の畑もすべて身内の 週末農園エリアで、収穫目的でない菜が
栽培されています。
春には山一面が黄色のジュウタンを敷きつめたような、菜の花畑となります。
夏には畑の主役は替わり黄色いヒマワリの花で埋めつくされ、遠くには富士山
が望める四季おりおり地域有数の名所になっています。
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2011年12月22日(木) |
千両・万両 |
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写真の左は、センリョウ (千両)、右はマンリョウ (万両) です。
その名からも共に、正月飾りに使われる縁起の良い庭木として人気があります。
その見分け方では、千両は軽いから実は上向きに付き、万両は重いから
実は下向きに付く、と昔から楽しいたとえ話しもあります。
s50年前後のこと、当時の冬の寒さには耐えられず庭ではセンリョウは育ちま
せんでした。
ところが近年は温暖化のせいでしょうか、このように立派に育っています。
センリョウもマンリョウも、はじめは二株ほどでしたが共に実の発芽率が高い
のが幸いして自然に殖えてくれました。
今年は例年になく、特に実付きが良く野趣の拙庭を楽しませてくれています。
共に野鳥の好物で、正月ごろにはメジロやヒヨドリの餌場になってしまいます。
【 写真は、12月22日の撮影です。】
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2011年12月14日(水) |
記憶のアルバム (迎え歌) |
s20年代、樽本の生活で若者の結婚式は、村をあげての一大イベントで様々な
風習がありました。
結婚式は主に春の雪どけ前の農閑期で、式は当事者の家で営まれました。
中でも披露宴の酒宴は、二日二晩ぶっ続けの家もありました。
その何10人もの出席者が歌や踊りで祝う盛り上がりは、離れたコタツで見て
いる子供の目にも楽しい想い出でした。
宴席で歌い終えた人が、次の歌い手を勝手に指名する風習がありました。
指名された人がモジモジしていると、「ムケ ニイッカ*」 と別人が歌い出します。
*ムケ ニイッカ: 「迎えに行きましょうか」 の樽本方言です。
指名された人は、その迎え歌が続いている間に何を歌うか決めねばなりません。
この時代、伴奏設備などはなく 流行歌、民謡、童謡などの一人歌でした。
それでも歌が続かない場合には、お勝手仕事の女衆が自薦の飛び入りで
「オレ ムケニ イクワ*」 と宴席に立ち歌い出す歌好きの女性もいました。
* オレ ムケニ イクワ: 「私も迎えに行きます」
樽本では当時、男女共に自分を 「オレ」 と自称していました。
当時、世代バランスがとれた人口構成であった、樽本の良き時代の風習でした。
・【 写真は、早咲き梅のツボミです。12月14日の撮影です。】
年内に咲くのがいつもで今年も、もうこんなにふくらみました。
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2011年12月6日(火) |
記憶のアルバム (しきたり) |
豪雪地の樽本、すでに雪便りの季節になりました。
農繁期も過ぎて春から手伝ってくださった方々を招いて、ご馳走振る舞いの宴も
済んだ季節になりました。
昔、樽本にあった生活習慣の一つに、お招きしたお客にご飯を 「腹一杯たべて
いただく」 次のようなやり取りがありました。
酒宴も終わりに近づき、仕上げのご飯もひと通り終えそうな客に、家の女衆が
「イッペエ、オタチ、ドウダネ。」 と次々と声を掛けてまわります。
これは 「一杯、おかわり、どうですか」 の樽本方言です。
お客は 「モー、イッペダー(もう満腹だ) 」 と固辞しますが、これを聞き流し
「モウイッペ、クワッシェノ (もう一杯、お食べください) 」 と幾度もの問答で押し
切ります。
お客の食器を取り上げ、ご飯を山盛りにして 「サー、クワッシェ (どうぞ、お食べ
ください) 」 と客に差し出します。
お客は、そのご飯を食べつくすのが礼儀の一つで、お招きした家側からは振る
舞いの気持ちを表す儀礼の一つでもありました。
・【 写真は、早咲きのスイセンです。12月6日の撮影です。】
今年は、いつもより開花が早いようです。
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2011年11月27日(日) |
記憶のアルバム (スギテッポウ) |
樽本のs20年代、杉鉄砲 (スギテッポウ) 遊びの想い出をご紹介します。
なじみ薄い遊びではないかと思い、昔々を想いながら手作りしてみました。
素材はすべて野生の竹と杉の花 (ツボミ) で、子供のころはナタだけで作って
いました。
写真の左側、いつもの散歩道で採った杉の雄花 (ツボミ状態) です。
中央、作り上げた鉄砲 (②④⑤) と杉のツボミ 「弾 (①③) 」 です。
右側 、その鉄砲作りの素材残りで、散歩道の脇にあった野生竹です。
遊び方は、最初に鉄砲の筒 (②) にあたる竹の右側穴に弾 (③) 一つを詰め、
押し棒 (④) で筒の左一杯まで押し込みます。
押し棒を抜き、弾 (③) をもう一つ詰めて静かに押し込みます。
二つの弾にはさまれた中の空気がドンドン圧縮され、限界に達すると 「ビシッ」
と破裂音と共に一つ目の弾が飛び出します。
どこまで飛んだか競ったり、ほどよく離れて撃ち合ったりと楽しい遊びでした。
弾がすき間なく入り空気漏れしないサイズ穴の竹を見つけるのが、なかなか
容易でないことを今回の手作りで実感しました。
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2011年11月21日(月) |
記憶のアルバム (観音堂の伝説) |
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2011年11月10日(木) |
カメの子ども |
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日本亀 (クサガメとイシガメ) を池で飼い始めて、四半世紀が過ぎます。
始めのころ何年もの間、飼育の方法で試行錯誤が続きました。
その一つは池からの脱走で、住まい周辺の電柱に 「尋ね亀」 の貼り紙をした
こともありました。
脱出の防止構造の、池の造りを会得するまでには何年も掛かりました。
もう一つは病気との闘いで、亀の病気は治りにくく失敗例は数々ありました。
中でも綺麗な水を好むイシガメは、少しの水質変化にも敏感で飼育の難しい
亀でした。
近年、専門の業者から亀の治療ノウハウを授かって以降は、失敗例は殆どなく
なりました。
その一つの成果が、20年来飼い続けている親亀の産卵です。
今年も7~8月に沢山の卵を採取することができて、2ヶ月と少し過ぎた秋に
子ガメが写真の通り誕生しました。
・写真の左は、今年誕生ゼロ歳の子ガメたちです。11月4日の撮影です。
今年は高い孵化率でした。冬眠して来春からエサを食します。
・写真の右は、2歳と1歳の子ガメたちです。11月9日の撮影です。
大きい方は一昨年、その他の不揃は全て昨年産まれです。
固体によって成長がこれほどに差がつきます。
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2011年11月5日(土) |
記憶のアルバム (イナゴとり) |
樽本のs20年代、当時の生活で 「イナゴ」 は貴重な蛋白源食材の一つでした。
一方、稲の葉を食い荒らすイナゴは、稲作の害虫でもありました。
あの時代、田んぼの畦を歩くとイナゴが次々と飛び立つほどいました。
稲穂が実るころまで成長を続けるイナゴですが、この時期、動きが機敏でなか
なか捕まりません。
稲の刈り取りが終えた田んぼに初霜が降りると、いよいよイナゴ捕りの本番です。
寒さで動けないイナゴを拾うように捕るのですが、寒い日が続けば全滅しますの
で短期戦でした。
使い古しの手ぬぐいで作ってもらつた、キンチャク (巾着) 風の大きな布袋を
持って出掛けます。
朝日が昇り霜が解け、イナゴが動き出す前が勝負で苦労なくたくさん捕れました。
捕れたイナゴ処理は袋ごとタライなどで熱湯につけ、その後は水切りして日干し
乾燥します。
元手なしで子供にできる食材捕りとして、大いに喜ばれました。
調味料で味付けしてもらったあの味は、実においしい佃煮風のおかずでした。
・【 写真は、サボテンの月下美人です。11月4日朝の撮影です。】
気温が下がったこの時期に、珍しく咲いてくれました。
夕闇を待って咲き出し夜明けと共に終える一夜花なのですけれど、
今回は朝日を受けるまで咲いていました。
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2011年10月31日(月) |
記憶のアルバム (クルミひろい) |
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2011年10月26日(水) |
記憶のアルバム (山イモ掘り) |
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写真の左は、自然薯 (ジネンジョ) の紅葉で10月21日の撮影です。
数年前、散歩道で自然薯のツルについた 「ムカゴ」 を見つけて、懐かしさの
余り庭の片すみに植えました。
この紅葉がはじまると子供のころのs20年代、樽本での山芋 (ヤマイモ) 掘りを
想い出します。
私は週末休みの朝、野良仕事に出る親に予告していました。
『 今日、山芋掘って来るサケ、ユウメシに料理してのーッ・・・』
*ヤマイモ: 樽本では、自然薯をこのように呼んでいました。
生家は、上樽本の 「お宮さま」 まで歩いて数分の所にありました。
お宮の裏、雑木林の土手には日本原産で、野生種の山芋が自生していました。
山芋の紅葉がはじまる10月になると、生えている場所を見つけるの遠目にも
容易でした。
カマとナタを使って50cm超の長い芋を折れないよう、土手を深く掘るには慎重
を要しました。
・【 写真の右は、茶花 (チャカ) です。10月21日夕暮れの撮影です。】
庭のすみに植えた 「お茶の木」 が、毎年、このように純白の花を咲かせます。
サザンカ (山茶花) の花に似ていますが、小ぶりで3~4cmです。
新しく得た知識ですけれど 「茶花」 と書いて 「チャバナ」 と読めば、「茶会の
席に飾る一輪の花」 を意味するとのことです。
また近年この花に、茶葉に勝る良き成分のあることが分かったとのことです。
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2011年10月19日(水) |
記憶のアルバム (山のさち) |
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2011年10月7日(金) |
記憶のアルバム (収穫) |
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樽本では今ごろ、稲刈りで忙しい毎日のことと思います。
s20年代小中学生はこの時期、全校が一週間の 「稲刈り休み」 になりました。
あの時代は稲刈り・そのハゼ (*) 掛け乾燥・脱穀などなど、農作業のすべて
が人手でした。
このため子供たちでも貴重な労働力で、何でも手伝わされました。
*: 「ハザ掛け」 と呼ぶ地方もありますが、樽本では 「ハゼ掛け」 です。
近場の田んぼで刈り取った稲は背負って家に運び、家周りに造った10段近い
ハゼに掛けて乾燥。
遠くの田んぼでは、その空いた田んぼに造ったハゼに掛けて乾燥します。
天日乾燥した稲は、ひと先ず家の中に取り込んで積み上げます。
天候急変の夜などは、暗闇の夜中でもハゼに登って稲を外し家族総出で取り
込みました。
脱穀は、足踏み脱穀機で大人たちが主に 「夜なべ」 でやっていました。
子供たちは先に寝るのですが、脱穀機の大きな回転音と舞い上がる細かな
ワラボコリで、からだ中がチクチクして寝付かれない夜が続きました。
・【 写真は、樽本のハゼ掛けです。】
写真の左: 樽本温泉の庭から、2009年10月18日の撮影です。
写真の右: 樽本内の県道脇で、2006年10月21日の撮影です。
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2011年9月30日(金) |
9月の花 |
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残暑が続く9月は、この時期に咲く日本古来の花の種類はあまり多くない
ように思います。
そんな中で、特に引き立つのがヒガンバナ ( 彼岸花 ) ではないでしょうか。
その名の由来は、お彼岸のころに咲くからと聞きます。
花が終わると早々に葉芽を出して、冬の陽射しを葉にタップリと受け球根を
充実させます。
このため雪国・豪雪地の樽本では、ヒガンバナは根付きませんでした。
・ 【 写真は、庭のヒガンバナです。9月30日の撮影です。】
今朝の強い陽射しを浴びて花は輝いていました。
9月は入院などで家を空けてしまい、花の記録は少しでした。
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2011年9月26日(月) |
お休みが長くなり・・・。 |
このオジ(ryuzi) の日記、お知らせもセズに長くお休みをいただいておりました。
申しわけありません。
( 鈴木様 「樽本の掲示板」 へのご投稿ありがとうございます。)
この間、思いがけない病 (心筋梗塞) をわずらいまして、病院のお世話になって
おりました。
ご専門医師のお力を得まして、初期の見立てより早まって24日(土) に退院する
ことができました。
初期対応が早かったことが幸いしまして、遠からず普段の生活に戻れる見込み
でございます。
養生の落ちつきを見つつ、スローになると思いますけれど日記を再開させていた
だきます。
どうぞ、よろしくお願いいたします。
・ 【 写真は、庭のニシキギの紅葉です。9月26日の撮影です。】
入院のころは猛暑が続いていたのに、もう庭には彼岸花をはじめ
このように初秋が訪れていました。
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2011年9月9日(金) |
記憶のアルバム (考察: 足のあるヘビ? ) |
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先回(9/3) 日記取材の中で、同氏(84歳) から別の体験もお聞きしています。
【取材記録の抜粋】
その年から少し前のこと、大人たちが同じような 「頭の大きい足のある
生き物」 を捕まえているのを見た。
そこは樽川に合流する支流でした。
当時の樽川は奥深い山あいの清流でしたので 「足のあるヘビ」 は、「オオサン
ショウウオ」 ではなかたったかと推察しています。
このころの樽川にはヤマメ、イワナ、ハヤ、カジカなどがいて、子供たちは素手
で捕まえ楽しんだと聞きます。
樽川は直線≒30km先で日本海に通じますが下流には当時、大きな滝や堤は
なかったと聞きます。
一方、「ぬの滝」 合流の少し上流には、二段に落ちる大きな滝があります。
その滝を昔から男滝・女滝と呼んでいます。
急角度で大きな落差の岩肌を激しく流れ落ちるため、この滝が川に棲む生き
物移動の終点であったのかも知れません。
その後s10(1935)年ごろから、樽川水門・水路隋道などの水力発電の施設建設
が進み、s15(1940)年ごろに完成しています。
これにより、樽川の生き物たちの生態が大きく変わったのではと推測しています。
・ 【 写真は、樽川の男滝と樽川水門です。】
左:S23(1948)年8月撮影。東京の客をマブの穴に案内。左から2番目が私。
右:H18(2006)年10月撮影。樽川橋の上からの眺め樽川水門です。
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2011年9月3日(土) |
記憶のアルバム ( 足のあるヘビ? ) |
樽本に生まれ育ち暮されてきた方 (84歳) から、H18(2006)年10月にお聞きした
体験談です。
【 取材記録の抜粋 】
4年生ぐらいの子供のころ、友達と3人で 「ぬの滝」 下に遊びに行ったとき、
鉱泉が湧き出ている穴に 「足のあるヘビ」 がいた。
ヘビは青大将ほどの太さで、小さな足が片方だけ見えた。
学校で先生に話したが信じてくれなかった。
前記 「友達」 のお一人 (86歳。愛知県在住) が帰省中のH19(2007)年8月、樽本
でお会いする機会を得て 「このこと」 をお聞きしました。
5年生のころの記憶とのことでした。
【 取材記録の抜粋 】
確かに見た、足のあるヘビのいたことは事実だ。
子供だったからキビワルクテ (気もち悪くて) おっかなかった。
お二方の体験はお歳から、大よそs7(1932)年ごろと推察されます。
当時、ぬの滝が直下で合流する樽川には、多種の川魚や生きモノがたくさん
生息していたと聞きます。
ぬの滝が合流する樽川のすぐ上流には、樽本では 「マブの穴」 と呼ぶ昔の
金鉱石の採掘坑があります。
<次回 「考察」 に続く。>
・ 【 写真は、ぬの滝と新緑です。撮影: 2009年5月9日 】
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