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2011年4月29日(金) |
樽本温泉がオープン |
朝日新聞の昨日の天声人語に、元禄2(1689)年3月27日 (旧暦) に松尾芭蕉が
「おくのほそ道」 の旅に発たれたと記されていました。
この日を今年の暦に当てはめると、今日 4月29日にあたるとのことです。
同じ日の今日、4月29日は冬季の休業中であった樽本温泉が、今年の営業を
実質オープンします。
本格営業は5月1日からですが、毎年その日に先がけて4月29日に集落総出に
よる開業イベントが行われます。
イベントのようすなどを含めて、このHPの中で詳しくご紹介しています。
【 写真は、4月の花 「アヤメ」です。 】
昔、樽本の生家裏のタナ (樽本の方言で「池」) の淵で、春はやく咲く懐かしい
想い出があります。
ツユのころに咲くハナショウブの飾り立てた花とは異なり、アヤメは今の時期に
このように美しく咲いてくれます。
今年は例年より少し遅れて、初咲きの一輪は4月28日でした。
同じ日の撮影です。
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2011年4月20日(水) |
4月の花 (クマガイソウ) |
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2011年4月17日(日) |
4月の花 (ハナモモ) |
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このHPタイトル「春はうららの・・・」は、HP内でご紹介しています 『樽本音頭』 の
一節からもらい受けました。
( 「樽本音頭」 は、HPのトップページでご案内しています。)
2006(H18)10月、上樽本ご出身で樽本音頭の作者 「木賀長治氏」 を訪ねたの
が、このHP取組の本格スタートでした。
翌2007年5月にも再びご訪問、樽本の昔と今を録音しながら数多く聞かせて
いただきました。
以後、2008年いっぱいをかけて樽本在住の方、また樽本を離れてお住まい
の方の計30人ほどに、樽本の昔と今を取材させていただきました。
このHP記載の内容は、その取材がもとになっています。
【 写真は、庭に咲いている花桃 (ハマモモ) です。】
写真の左は今年4月10日、右は昨年4月7日に同じ木の撮影です。
丈5mを超えましたので、この冬、大胆に剪定して樹形の作り直しを始めました。
2007年5月、木賀長治氏を再度ご訪問したおりに、同氏宅の庭木の1本を譲り
受けた思い出ぶかい記念の花木です。
当時、親木の根元に生えていた1mにも満たない幼木でした。
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2011年4月14日(木) |
4月の花 (イカリソウ) |
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2011年4月12日(火) |
4月の花 (マムシグサ) |
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樽本でs20年代の子供のころ、近づきがたい野草や雑木がありました。
・茎を折るとにじみ出るその液に触れると、「キンコ(樽本方言で難聴の意味)」
になると言われていた草。
・ダニが好んですみ付いていると言われていた木。
このほかにも色々とありました。
たわいのない言い伝えのものもありましたが、後に知ったところでは、中には
有毒性や漢方の薬効性の草木がありました。
先人の知恵と感心しています。
【 写真は、庭に咲いているマムシグサです。4月10日の撮影です。】
樽本の生家跡の近くから、何年か前に移植しました。
里の周辺、樹木の下などの日陰地に自生していますが、子供のころは薄気味
悪い草と思っていました。
樽本の昔を想い起しながらの手づくりの庭に、野趣の一興にとこの渋い花を
楽しんでいます。
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2011年4月8日(金) |
4月の花 (ユキツバキ) |
新潟県の木に指定されている雪椿 (ユキツバキ) は、ふる里の樽本の山々に
多くの群生地があります。
雪の多い日本海側の、小高い山の斜面が雪椿の自生適地と聞きます。
樽本では集落をとりまく山々の、標高700~800mの斜面に群生しています。
樽本の早春、山の雪どけを待って 「いの一番」 に咲く花が雪椿であったように
思います。
残雪が点在する山肌で、細い枝先に咲く雪椿は樽本に春の訪れを実感する花で
した。
【 写真は、今年もたくさん咲いている庭の雪椿です。4月3日の撮影です。】
冬、空気が乾燥する関東は雪椿には適さないのですが、庭の池のそば築山に
植えたのが成功でした。
樽本の生家裏山から移植した1mほどの幼木が、丈≒2m株立ちの成木に育ち
ました。
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2011年3月23日(水) |
計画停電の余波 |
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3月18日の停電のあと、当グループの停電は19日、20日、21日と見送りが続い
ていました。
続いて22日は午前と午後、2回予定の停電は午前の≒3時間は実施。
夕方5時前からの計画は見送られ、そして今日(23日)は午前と午後、2回予定
の停電も共に見送りになりました。
明日(24日)は、夜10時までの3時間停電が計画されています。
これまでの他のグループの例から、計画どおりに実施されることでしょう。
この計画停電は、夏以降も実施見込みとの報道で趣味の見直しが迫られて
います。 ( 被災地のご苦難を思えば、当然のことですので。)
昨年、夏の猛暑が続く日中は、庭の池の水温が30℃超の毎日でした。
20年近く飼い続けているダゴイ (駄鯉) とフナ (鮒) が、この高温の池で生き続け
られたのはポンプによる常時の水循環でした。
冬季の魚は呼吸活動が鈍いため耐えていますが、今年の夏、もし池の水循環
が停電停止すれば魚たちの 「酸欠症状」は必至ですので。
【 写真は、庭のシュンランとアズマイチゲです。3月20日の撮影です。】
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2011年3月18日(金) |
計画停電 |
昨日は二回、今日は朝の6時半ごろから。計画停電が続いています。
今日二回目の停電は、見送られたとの報道です。
被災地の悲惨な毎日を思えば電気がなくとも、そのほかのもので何とか過ごせ
ることに申し訳ない思いの毎日です。
生活用品も日ごろのストックで、相当部分は間に合うことも実感しています。
計画が示されている停電など、先のことが分からない被災地の毎日を思えば、
天と地の違いとの思いで過ごしています。
被災地に更なる救援の手を、そして一日も早い復旧復興を願いお祈りいたして
おります。
【 写真は、昨夜8時過ぎまでの≒3時間の停電で使ったロウソクです。】
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2011年3月15日(火) |
M 9.0 |
このたびの被災地の皆様、そしてご縁のあります方々、心からお見舞い申し
上げます。
どうか一刻も早い救援、そして一日も早い復旧復興を願いお祈りいたしており
ます。
当日の当地は激しい揺れと共に停電はしたものの、おかげ様でガスと水道は
正常でした。
通信系が不通となり離れた家族の無事が確認できたのは、電気が通じた夜の
8時をかなりまわっていました。
大きな教訓は電気が止まると、ガス・石油系の暖房機器まで使えなくなること
でした。
平穏な生活が早く戻ることを願っています。
【 写真は、樽本ヤマザクラです。】
昨年3月の日記でもご紹介しましたが、今年もこんなに咲きだしております。
10年ほど前、樽本の生家の裏山 (ジョウビラ/城平) から1mほどの幼木を
庭に移植しました。
成長を続けて丈≒5m、根元の幹周り≒18cmになりました。
3月14日の撮影です。
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2011年3月10日(木) |
どんぐりアート |
樹木の実などを素材にした、知人の素朴な工芸品づくりをご紹介いたします。
自然のナラやクヌギの実 ( ドングリ ) などを主に使うことから、一般には
「どんぐりアート」 と呼んでいます。
どんぐりアートには、大きくは次の二つの傾向があるようです。
・ ひと粒のドングリを素材に、人や生き物の顔などを描く表情工作品。
・ ドングリを主役素材に、草木なども巧みに活かした工芸作品。
童話やオトギばなしの世界に誘われそうな、ファンタジックな工芸品を知人が
作り続けています。
その作品集をご紹介するHPが、このたびできました。
写真は、そのHPでご紹介している作品の一つです。
小枝を除きすべてがドングリで、自然素材の色合いや暖かさが見事に活かされ
ています。
HPでは、ほほ笑ましい他に二つとない作品や写真が、たくさんご紹介しています。
このHP、トップページのリンクサイト 【 Donguri fantasia 】 からご覧ください。
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2011年3月6日(日) |
シンボル桜 |
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今年もサクラの開花予想が出はじめました。
春の訪れを華やかに告げてくれるサクラの開花は、雪国の暮らしには又、特別
のものがあります。
豪雪地 ふる里の樽本集落の標高は≒600m。
積雪の多い年には5月になっても多くの残雪がありますので、今年の春も
雪どけが遅くなるのかも知れません。
「上樽集落」 にあった生家の前は崖状で、その下を流れる川向こうの家に大き
なサクラの樹がありました。
上樽集落には他にサクラ (ソメイ吉野系) はなく、春を告げるシンボルのような
大樹でした。
s20年代の記憶でも大樹でしたので、今の樹齢は100年を超えると思います。
雪に埋もれた半年近い生活からの開放を喜ぶ春の実感が、このサクラの開花
でした。
写真の左は、「川向こうの家」のそのサクラの大樹で、H8(1996)年5月初旬の
撮影です。
写真の右は、その同じサクラの樹で、H18(2006)年5月中旬の撮影です。
今年の冬も、豪雪に耐え抜いてくれることを願っています。
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2011年3月1日(火) |
お茶づけ |
酒宴の締めくくりに 「お茶漬け」 を好まれる方、多いことと思います。
s20年代後半、転校のために中学2年で樽本を離れるまでの記憶には、大人たち
がお茶漬けを食べていた記憶がありません。
宴会しめの席や親たち大人の食事でも、お茶漬けを食べる習慣がなかったよう
に思います。
( 異なる記憶のある樽本ご出身の方、ゼヒ、ご一報ください。)
このような 「?」 に気づきましたのは、2月15日の日記 「囲炉裏ばたの序列」で
ご紹介の、「お茶は当主が入れる役割」 として定着していた昔からのしきたり
でした。
忙しい仕事の合い間、素早くかき込む食事が発端と言われる 「茶漬け」。
あまり上品とは言えません。
一方、お茶には、それとは真反対の歴史があると聞きます。
お茶を粗末にしたくない、とする古くからのいわれが在ったのかも知れません。
例えば樽本は奥深い集落ですが、1000年の歴史が眠ると伝えられていますので。
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この 「樽本のオジ(ryuzi)の日記」、この日 (3月1日) 満1歳になりました。
ありがとうございます。
この先も、どうぞよろしくお願いいたします。
【 写真は、今、庭で満開のフクジュソウ (福寿草) です。】
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2011年2月26日(土) |
趣味の洋ラン (その4) |
屋内の小さなフレームで育てている洋ランのデンドロ (デンドロビューム)
が、
今年もたくさんの花をつけてくれました。
この日記1月11日から 『 趣味の洋ラン (その1~3) 』 で、ご紹介したデンドロの
親株です。
これらの親株から毎年、新芽が育ち株立ちが大きくなると株分けをします。
その 「分けた株」 をハイビスカスなどの、鉢の土に試しに植えた成果が日記の
「その1~3」 の写真です。
写真の中央は、「サギムスメ ( 鷺娘 ) 」 と名づけられた種類です。
その名の通り、純白で実に清楚な花をつけてくれます。
1月13日の日記 「趣味の洋ラン (その2) 」 で、デンドロとの出会いをご紹介いた
しました。
当時、勤めていた会社の上司から託されたデンドロが、この鉢の 「サギムスメ」
でした。
あれから数10年を経た今年も元気に、このように見事な花をつけてくれました。
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2011年2月24日(木) |
昔の樽本ソバ |
樽本の掲示板 「交歓ひろば」 に、2月21日、樽本ご出身の方から樽本の昔を
想い起こす投稿をいただきました。
その中から想い出を、少しご紹介します。
田舎ソバと言えば近年はそのほとんどが、ソバ粉を練り上げて平たく薄く延ば
し、それを包丁でキザム手法ではないかと思います。
昔の樽本ソバは直径2mmほど、断面が真ん丸で細く長ーい形状でした。
昔は樽本のどこの家でもソバを栽培して、ソバ食はすべて自前でした。
包丁などは使わず、昔から手回し式の小さな伝統の道具を使って、家族が
総出で手づくりしていました。
ソバの断面か丸いこともあって、その食感やノドごしが自慢でした。
当時、祝い事やお礼返し料理のひと品で、手づくりソバが振る舞われていました。
また、ご投稿の中にあります 「おてしょ」 について、広辞苑に 『手塩皿(てしお
ざら)。小さくて浅い皿』 とあります。
奥深い集落の樽本で、昔から日常用語であったことに何かいわれを感じます。
【 写真は、かつてソバ粉やキナ粉をひいた石臼で、今は庭石にしています。】
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2011年2月18日(金) |
歌声のCD |
昨年の10月~11月この日記ぺージで数回、「樽本の村唄」 のCD化をご案内いた
しました。
その元唄2曲 (下記) の歌声とメロディーは、このHPトップページからご案内して
います。
・ままよ踊り唄・・・大正、又はそれ以前から伝わる樽本固有の盆踊り唄で
作者は不明です。
・樽 本 音 頭 ・・・昭和24(1949)年、樽本ご出身 木賀長治氏 の作です。
2曲ともに親から子、そして子から孫にと歌い語り継がれてきましたが、楽譜や
記録は何一つ残されていませんでした。
その唄の録音が、樽本音頭 作者の実の妹 「小出トシノ氏」 によって叶えられた
ことがキッカケとなり、昨年、演奏曲のCD化が実現しました。
この演奏曲は、富山県 高岡市在住のK.H氏から楽譜化、演奏メロディー化の
ご支援を賜わって完成しました。
このキッカケになった 「元唄」 歌声をこのたび、そのままでCD化をいたしました。
ICレコーダーによる不慣れな録音ですが、後世に伝え残せればと願っています。
【 写真は、小出トシノ氏の歌声で元唄2曲のCDです。】
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2011年2月15日(火) |
囲炉裏ばたの序列 |
朝日新聞(2月13日) の、「朝日歌壇」 に次の句が載っていました。
『 炉端にも席の序列のありし日のふるさと偲ぶ大寒の夜 』
昔、樽本の生家の囲炉裏ばたにも、ハッキリとしたものがありました。
昨年、この日記ページ(11/13) 「イロリにつどう季節」 を補足して、ご紹介します。
生家の囲炉裏ばた、四面のしきたりです。
・ 上 (カミ) 座は当主 (父) の席で、ほかの家族はその場にはつきません。
・ 下 (シモ) 座は、上座の正面で主に主婦が座っていました。
・ 客座は来客がない時、家族 (母や子供) の席になっていました。
・ 残る一面はお勝手側で、煮炊きする家人 (おんな衆) のための席でした。
普段の囲炉裏ばたは来客の接待や家族団らんの場となり、野沢菜などの
「漬物」 とお茶が常に用意されていました。
その漬物は、おんな衆が用意して囲炉裏ばたに並べますが、お茶には手出し
しません。
お茶は当主 (父) が入れる役割として、古くからのしきたりになっていました。
【 写真は、昔の生家の囲炉裏ばたです。】
s40(1965)年3月の撮影で、昨年(11/13) の日記でもご紹介しました。
手前が上座で父 (当時77歳) が座っています。
帰省のおり、ヤマモチを作っての歓迎を受けました。
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2011年2月9日(水) |
富山の薬売り |
昔、樽本にも年に何回か、「富山の薬売り」 が 置き薬 の補充で訪れていました。
薬を満杯にした何段もの重ね型の大きなコウリ (行李*) を背負って、家々を
巡回しながら行商をしていました。
囲炉裏ばたに座り込み、大きな風呂敷を解き コウリ を開けるのを、そばで
ジーット待っていた子供のころを想い出します。
最初に出してくれるのが、その家の子供たちへの土産で色鮮やかな 「紙風船」
でした。
記憶では15cmほどの小さな風船でしたが、膨らませて突いて楽しんでいました。
【 写真は、そのころ樽本で実際に使われていた 「置き薬箱」 です。】
箱に書かれている文字
・ねつとり トンプク 三分間 赤玉入 キナエン剤
・はいた づつう ケロリット
置き薬の種類(記憶による)
解熱剤 鎮痛剤 正露丸 傷薬 目薬 赤チンなどなど。
箱のサイズ(≒)
W(21)×H(13)×D(24)です。
この薬箱の今は、拙宅の常備薬入れとして重宝しています。
( *行李: 柳や竹などで作った荷物・衣類などを入れる具。)
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2011年2月7日(月) |
二つの勉強机 |
樽本の生家に、昔、昭和初期 (80年以上前) 製の小さな勉強机が二つありました。
隣の集落 「中樽本」 にあった母の実家が、大工をしていたことから孫の成長を
祝って贈られた手づくり品と聞いています。
大正5 (1916) 年に両親が婚姻、2年後から一年おきに11人が産まれ10人が成長
していく過程で、兄弟姉妹の全員が代わるがわるに、この 「二つの勉強机」 を
使ってきました。
バッシ (末っ子) の私には、兄姉たち子供のころの様子は聞く限りですが、3歳
年上の兄とはよく机を並べて宿題をしていました。
【 写真は、その机の一つです。】
生家がs45(1970) 年に樽本を離れる際にも大切にしていた品々の中から、
近年、その机の一つを譲り受けて、今は拙宅で鉢置台になっています。
大きさは≒W(60)×H(26)×D(29) cmです。
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2011年2月4日(金) |
転校のころ、そして今。 |
昨年3月の日記で昔のこと、樽本の中学を2年で終え、3年生から東京に転校し
た想い出を記させていただきました。
その中学2年の冬、コタツでの親からの言葉を今も覚えています。
「 もうジキ、3年生にナンダケド、ワードースンダ、東京にイカネカ・・・」
このまま樽本で過ごすのか、東京に転校するかの問い掛けでした。
その頃、15歳年上のS兄が東京で事業を営んでいました。
3歳年上のK兄は、すでに東京に転校してS兄の家に居候をしていました。
「 東京に行きテなら、これから言う通りに手紙を書け・・・」 と、その場で書かされ
ました。
その後、間もなくS兄から快諾の返事が届きました。
学業が終えるまでの長い年月、S兄の支援で居候を続けて、ひとり立ちをさせて
もらいました。
その親代わりをしてくれたS兄が、長い入院闘病をへて1月末に永眠、沢山の
参列者に見送られて2月2日遠くに旅立ちました。
このような次第と家族のインフルが重なり、久しい日記になりました。
この先も、どうぞよろしくお願いいたします。
【 写真は節分明けの2月4日、朝日をあびる庭の梅です。】
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2011年1月24日(月) |
ツトッコ |
昔、樽本の冬は農作業から解放された大人たちが、農繁期にお世話になった
親戚縁者を招き招かれて、ゴッツォ (ごちそう。手料理) を作ってもてなし合いを
していました。
当時、ゴッツオと言っても酒と調味料 (砂糖、塩、醤油) を除けば、食材100%は
自家製でした。
このHP 「樽本のしきたり」 でも、色々の名称の お招き合い をご紹介しています。
お招きした客には、ひとり一人の専用の小さな 「お膳」 が用意されていました。
その一人用お膳には、食べつくせない量の手料理が並べられるのが常でした。
時には違法の、自家製ドブロクも振る舞われていたように思います。
うたげ (宴) が閉じそうになると、お客の全席に 「ツトッコ*」 が配られます。
そのツトッコに、食べ残したゴッツォ全部を詰め込んで持ち帰るのが、お客の
作法でした。
家で留守番している子供たちには、そのツトッコに普段は食べられないご馳走
が詰まっているのが何よりも待ち遠しいお土産でした。
*ツトッコ: ワラ (藁) を束ね作った持ち運び用の食べ物入れで樽本の方言です。
ワラで作られた 「水戸納豆」 入れに似た、あの数倍の大きさで
もっと荒々しく作られていました。
【 写真は、今年も毎日エサをねだりに来ているキジバトです。】
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2011年1月17日(月) |
趣味の洋ラン (その3) |
先回 (1/13) 日記の続きです。
元気をなくしたデンドロ (通称。正式にはデンドロビューム) を植え替えて、新た
な芽を育て花咲かせるのに3年ほどかかりました。
洋ランはシンビジュームのみで楽しんでいましたが、この頃から鉢の置き場が
比較にならないほど少なくて済むデンドロに、少しづつ入れ替えていきました。
デンドロは一般には専用の鉢に水ゴケで植えますが、自然界では密林などで
大木の幹に寄生して茂っていると聞きます。
その自然界での姿を、偶然に体験することができました。
写真をご覧ください。
【 写真は、鉢植えのハイビスカスの幹に寄生したデンドロです。】
数年前、鉢の土に植えたデンドロから枝芽が育ち寄生株になった
今の姿です。
植物の根は大地の方向に根付くのですが、写真の右鉢のように
デンドロには天に向かって伸びる根もあります。
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2011年1月13日(木) |
趣味の洋ラン (その2) |
先回 (1/11) 日記の続きです。
何年かの経験を経て、一種 (シンビジューム) に絞って楽しむことにしました。
このランには、葉の広がりがミニ型から鉢を含めると1mにもなる大型まで沢山
の種類がありますが、日ごろの管理はさほど手がかかりません。
シンビジュームの鉢数が増えて、置き場スペースが手ぜまになっていた頃、知人
から弱りきったランを元気にさせる再生を託されました。
この元気をなくしたランの再生が、デンドロ (通称。正式にはデンドロビューム)
との出会いの始まりであったように思います。
【 写真は、日記1月11日の花、デンドロの茎と根元です。】
専用の鉢に水ゴケを使って植えつけるのが一般ですが、このような
野趣の楽しみ方もあります。
観葉植物の鉢の根元の土に植えつけますと、数年後には根が浮き
上がります。
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2011年1月11日(火) |
趣味の洋ラン (その1) |
洋ランには数多くの種類がありますが今は、冬のこの時期から咲き始める種の
デンドロビューム (通称はデンドロ) を主に楽しんでいます。
昔のこと、勤めていた会社の祝い事で飾られた後、管理を託された洋ランが
手始めでした。
30年近くも前のことです。
このようなことから当初はカトレア、シンビジューム、胡蝶ラン、ほか多種に
わたっていましたが、いずれも上手く行かず仕舞いでした。
と言うのも、洋ランはその種類ごとに管理条件が異なり、温度・湿度・日ざしの
ほか季節の対応もマチマチ、などの知識は当初はない取り組みでした。
幾種もの洋ラン鉢を限られたスペースに置くために、おのずと管理条件は同じに
なり年月を経るうちに環境に合わない鉢は勢いをなくしていました。
【 写真は、今年の初咲きデンドロビュームです。】
観葉植物の鉢の根元に、何年か前に植え付けた小株 (枝芽) が
成長した姿です。
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2011年1月8日(土) |
目がつぷれる。 |
先日、ご飯をこぼしたり食べ残すと 「目がつぶれるぞ」、 と身内の小学生に注意
したら 「つぶれるってなーに」 と聞き返されました。
この普段あまり使わない 「言い回し」 が理解されなかったことよりも、時代背景
のズレに複雑な思いを体験しました。
s20年代の子供のころ、あらゆる物資が不足していましたが生家は米作農家
ですので、食べることには不自由なく過ごしていました。
ただ、家族みんなが汗水流して育て収穫した米や作物ですので、ご飯ツブ一つ
でも粗末にするなと厳しくしつけられ、それが今でも自然体になっています。
最近のTV番組やCMなどで、食べることを面白おかしくしたり、残さず食べて
当たりまえを 「完食」 と演出する場面に、違和感を覚えるのは時代への乗り
遅れでしょうか。
このようなご紹介の途中で、今朝 (1月8日) の朝日新聞 「天声人語」 の記事
「箸づかい」 を、昔を思い起こしながらしみじみと拝読いたしました。
【 写真は、野鳥 (ヒヨドリ) に先を越された庭のミカンです。】
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2011年1月5日(水) |
お年玉 |
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当世、お年玉を何万円ももらう小学生がいると聞きますが、s20年代、中学2年
まで暮した樽本にはお年玉の 「しきたり」 はありませんでした。
樽本には1000年の歴史が眠ると語り継がれている一方、広く世に定着して
いる 「しきたり」 で樽本にはない 「しきたり」 が少なくありません。
お年玉もその一つのように思い、謎を感じています。
( このHP、10月25日と12月31日の日記でもご紹介しています。)
当時の樽本には 「店」 は一軒もなく、何を買うにも遠い町まで出かけていま
したので、お金には子供は関心が薄かったのは確かです。
かといって、お年玉にかわる何かをもらった記憶はないのですが、正月を祝う
晴れやかな雰囲気は、家中にそして村中に盛り上がり大人も子供も大いに
楽しんでいました。
【 写真は、庭のロウバイ (蝋梅) とマユミです。】
ロウバイ: 12月初旬から咲き始め、今も芳香を放っています。
マユミ: 野鳥が運んでくれた種から芽生え成長して、初めて実を
つけました。
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2011年1月2日(日) |
初 詣 |
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鎌倉 鶴岡八幡宮に元旦の初詣をして参りました。
この地に住んで30数年、毎年この日にお参りしています。
三が日の鎌倉市内は、地域住民とバスを除き車の乗り入れは禁止。
路線バスが快適に走り、30分ほどで八幡宮に着きお参りの列に加わりました。
毎年のことで係りのロープ規制が続き、お参りができたのは七回目の規制が
解けたときでした。
その間1時間ほど、午後1時を少しまわっていました。
今年は、若い方が目立ったように思います。
【 写真は、鎌倉 鶴岡八幡宮のご神木、オオイチョウ (大銀杏) の昨年と
今年です。】
左は、昨年、2010.1.1の撮影です。樹齢800~1000年と言われます。
右は、今年、元旦の撮影です。昨年3月に倒れた報道ご記憶と思い
ます。
ご神木は大切に保護され、株あと、そして移植された切り株根元
から新しい世代がたくさん芽生えていました。
ご神木の世代交代、快晴の空のもと新しい年の始まりを実感してきました。
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