ふる里「樽本」のページです。 樽本は新潟県妙高市にあり、以前は豊葦村でした。このページは樽本の歴史を紹介しています。
春はうららの樽本

 ホーム > 歴史遺産 > 歴史の跡(その1)
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樽本 歴史の跡
樽本で昔から語り継がれてきた、由緒を思わせる遺物、遺構、地名などをご紹介します。
埋蔵文化財に新潟県が指定している6件とは別のものです。
近い将来それぞれについて、ご専門の方による調査と評価を願っています。
歴史の跡 その1 歴史の跡 その2
歴史の跡 その1
 インデックス
  元禄の祠マガクシ城平間府の穴炭鉱の跡エボ石
 元禄の祠
「観音堂(小出観音)」と隣接一対で、昔から祀られています。豪雪で傷み始めました。
祠 観音堂

「正観音元禄十五年」と読み取れますが、史実資料などはなく由緒は分かりません。

観音堂を護る小出一族の家には、今も、寛永7(1630)年の位牌が残されています。
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 マガクシ(馬隠し)
峰の最上部を深くえぐった形で、集落を一望する標高約800mの山頂にあります。
底面には何百年も過ぎた今も樹木はなく、周りの急斜面は鬱そうとしたブナ、ナラなどの原生樹林、峰の背面は樹木も育たない何100mもの絶壁です。
馬隠し 馬隠し
かま窟跡
「かま窟跡」と思われる石の表面は緑色で、周りの苔むす地面とは異なり対象的です。
かま窟跡
出土した岩石
崩壊した窟跡側面、地表近くから出土した岩石で、最大部28cmで約3kg。
他にも多量の同質岩石が出土しています。

火山ではない地形であり、大昔の人為的な経緯が推測される、との識者の鑑定もあります。
<言い伝え>
昔から、次の言い伝えがあります。
 ・隣接の「城平」一体で、戦国時代の人馬物品の隠れ砦であったのではないか。
 ・昔、よそで盗んだ馬を色塗り替えて、転売する盗賊の拠点であった。
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 ジョウビラ(城平)
昔から「ジョウビラ(城平)」と呼ばれている山で、突端部に「城平」が、頂上部に「馬隠し」があります。

平らに造成したと思われる、峰の先端には、今は植林された杉が林立しています。
近くには、ジョンソト(城外)、ジョンソデ(城袖)の地名があります。
城平 植林された杉
平坦面の周りは、わずかに盛り上がり土塀を思わせます。
その背面は樹木が育たない絶壁地形です。
植林された一代目の杉は既に伐採されて、二代目の杉が育っています。
植林された杉 伐採された杉
原生林
集落を一望する正面にはブナ、ナラ、カエデなどの原生林、その根元には雪椿、眼下には上樽集落、さらに晴れた日は遠く高田・直江津方面も眺められます。
<城平 補足説明>
新潟県教育委員会発行「新潟県文化財年報 第五」に、上杉一門に縁深い城址として「城平」が記されています。
この報告書では「下樽本 樽本城址」と共に、前述「城外」にも触れています。


『中頚城郡南部学術総合調査報告書 1966「頚南」 』より。
                 (ゴシック文字は補足追記)

(名称)(種別) (所在地)
(上樽本) 樽本城(山城跡) :妙高市 丙 樽本城平
(下樽本) 樽本館(館跡) :妙高市 甲 樽本城
 
(遺構 及び 地名)
社地、郭、壕跡
及び 城、城平、城ノ外、
ばんば、松葉

<抜粋>
南北朝時代、越後の動乱を鎮定するため新守護として越後に入部した上杉氏は
----(中略)
越後を統括するが、頚城地方はその直轄下におかれ、上杉一門または有力被官が分置された
----(中略)
頚城地方において、現在地上に遺構をとどめ、あるいは地名にその実在を示し、
伝説によって実在を推察されるもの
----(中略)
館跡25、要害(山城)21、合計46カ所におよぶ。 ----<以下略>
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 マブ(間府)の穴
昭和23(1948)年8月の撮影。「間歩」とも書かれて「坑道、鉱脈」を意味します。
樽川上流「布滝」の近くにありますが、今は、絶壁に阻まれ容易には辿りつけません。
佐渡金山が疲弊し始めた頃、代わる金鉱探しで試掘された中の一つ、また、上杉謙信が金鉱探しで指揮した中の一つ、などの言い伝えがあります。
マブの穴 マブの穴 この坑道に隣接する山の名が「カナグラ(金倉)」で、その山腹にも坑道跡があった、と語り継がれていますが、共に、価値ある産出物などの史実や資料はありません。

また、坑道と布滝の周りからは良質な鉱泉が、昔も今も豊富に湧き続けています。
<言い伝え>
昭和初期の頃まで、この坑道と「布滝」の川付近で、「光る石」が数多く拾われていました。
その光る石を飾っていた家も、何軒かあったと伝えられています。
昔の子供たちは、「マブの穴」は、「魔が棲む穴」で危険だから近づくな、と言い聞かされていました。
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 炭鉱の跡
昭和20年代中頃まで採掘されていた炭鉱跡で、周辺に合わせて8箇所あります。
土路集落沿いの川岸壁に、石炭が露出していたことが採掘の始まりで、坑道は地下深くまで掘り進んだ時代もありました。
炭鉱の跡 炭鉱の跡
炭鉱跡の湧水
炭坑跡からの湧き水は、名水として地元で人気になっています。
取水ホースをひいて、飲料水にしている家庭もあります。
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 エボ(いぼ)石
エボ石
「エボ」は地元の方言で、正しくは「いぼ」を表します。大きな一つ岩の表面がゴツゴツとしているさまを「できもの」の「いぼ」、に例えたと伝えられています。

樽本地域で、他には見当たらない珍しい岩石ということで、昔から祀られていました。
エボ石
昔、この場所で馬が崖下に落ちる事故があって、土路集落の方が明治14(1881)年に、この馬頭観音を寄進した、と伝えられています。

それから125年を経た今も、苔むさない、白一色の綺麗な珍しい石でもあります。
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