ユキツバキ 私【オジ(ryuzi)】の幼かったころ、少年のころのふる里「樽本」を日記でつづります。 遠い昔の記憶を想いおこしながら、時代もテーマも
特にすじ立てなくご紹介します。

また、暮らしの話題、ふる里への思いなども、折々にご紹介いたします。

原風景、歴史や伝統、樽本温泉、暮らしなど、近未来の樽本に少しでもお役に立てればと思い、また、夢もこめて・・・。

併せて、今は神奈川県に住み趣味ですべてを手造りした野趣の庭
山野草、庭木、小さな生きモノ なども、写真でご紹介します。

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            【 2010年弥生3月1日 樽本のオジ(ryuzi)
 
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2010年12月31日(金)
門 松

 
 新たな年を迎える準備で、ささやかな門松を玄関先に飾りました。
 一夜飾りや九のつく日は避けた方がいい、と聞きますので今年も30日朝はやく
 に飾りつけました。

 
 この時期になりますと、生まれ育った樽本の正月に門松が飾られた記憶がない
 こと、また、初詣のしきたりもなかったことを、よく想い出します。

 
 樽本は四つの集落で構成して、それぞれの集落には大昔からお宮さま (神社) 
 があり、また、お寺も二ヵ所にありますのに。

 
 1000年の歴史が眠る樽本と語り継がれ、その証しとも思われる一部は、この    HPでもご紹介していますが、この歴史遺産と 「しきたり」 との不釣り合いに謎
 を感じています。

       『このHP、10月25日の日記 「樽本のしきたり」 ご参照ください。
 
 【 写真は、庭で実った今年のユズ (柚子) とキンズ (金豆) です。
        キンズ(別名:マメキンカン)は、果実(≒1cm)を金の豆に見立て縁起
        をかついで名付けられたと聞きます。
        成木で≒1m、盆栽などにも。


2010年12月29日(水)
昔、樽本の冬

 
 ここのところ連日、日本海側の大雪のニュースでs20年代、子供のころ樽本で
 の冬の朝を想い起こしています。

 
 雪なしの正月も珍しくない近年ですが、あのころの樽本、12月下旬にもなれば
 沢山の雪が積もり、真冬には5〜6mを超す積雪が毎年のことでした。

 
 真冬の朝、顔をあらい拭こうと手にした手ぬぐいが、「だし昆布」 のような形で
 凍っていることもある樽本の冬の生活でした。

 
 凍っていた手ぬぐいを囲炉裏の火で柔らかくして顔を拭くなど、珍しくない毎年
 が続いていました。

 
 【 写真は、庭のクリスマスホーリー(西洋ヒイラギ) と白梅です。
        手づくりの庭、剪定 (センテイ) が済む前に、今年は実も花も見ごろ
        に
なってしまいました。
        赤い実は、間もなく野鳥が食いつくします。剪定はその後に。
        梅は花の盛りが終えてから、剪定することにしました。

2010年12月18日(土)
カタツムリのナゼ ? 。 『そのA』

 
 12月11日付の日記 「カタツムリのナゼ?」 で、東北大学の研究論文の一部を
 引用させていただきました。

 
 その後、同大学のメディアご発表タイトル 『左巻きカタツムリの進化は、ヘビ
 が引き起こした
』 の研究ご担当の方に、このHPをご案内してご評価をお願い
 しました。

 
 ご丁寧な解説・説明のメールを、その研究員 (下記) からいただきましたので、
 原文になるべく忠実に、ご紹介いたします。( ご了解をいただいております。 )

     ・東北大学 生命科学研究科 群集生態学分野 
      日本学術振興会特別研究員
      細 将貴 ( ホソ マサキ) 氏より。
 

 <<ご説明のメールより。>> 
 写真にあるカタツムリは、マイマイ属という分類群に属する種です。
 この仲間には、右巻きの種と左巻きの種の両方が知られています。
 右巻きの種は複数あり、本州からトカラ列島まで分布しています。
 また左巻きの種はやはり複数あるのですが、こちらは東日本のみに分布して
 います。

 
 カタツムリ食のヘビによって左巻きのカタツムリの起源が促進されたというのが
 私の研究の主旨ですが、世界的に見てほとんど唯一の例外といえるのが、実は
 マイマイ属の左巻きです。

 これらの分布域にはカタツムリ食のヘビが分布していませんので、なぜ左巻き
 に進化することができたのかは、今後の研究課題になります。<
以下、略>。
 
            【 写真は、この冬、早咲きしている庭のスイセンです。】   

2010年12月16日(木)
冬至 カボチャ

 
 今年も冬至 (トウジ、12月22日) が近づきました。
 s20年代、豪雪地の樽本は12月には根雪(ネユキ) が降り、冬至のころには
 本格的な冬景色になるのがいつものことでした。

 
 子供のころのこの時代、冬至にカボチャを食べるとカゼひかない、とよく 「食べさ
 せられた」 ことを想い出します。

 今で言う 「色物野菜は体にいい」 の、古くからの生活の知恵であったのかも
 知れません。

 
 雪降るこの時期まで食べ続けられる生野菜で想い出せるのは、床下に保存
 する根野菜類と二階に保存するカボチャぐらいでした。

 
 中でもカボチャは煮物や味噌汁の具、時にはカボチャご飯と、明けても暮れても
 カボチャづくしの毎日でしたが、「飽きた」 記憶がありません。

 子供には、あの甘味が魅力であったように想います。
 
 毎年、このカボチャ食が続く12月には手の平が少しずつ黄み帯びだして、冬至
 のころには、その黄みが目立って気になっていたことを想い出します。

 
 【 写真は、庭のクチナシの実です。
        5月15日の日記でご紹介した花の結実です。

        後方は、実生から成長してやっと花をつけたサザンカです。

2010年12月11日(土)
カタツムリのナゼ ?。

 
 普段、見るカタツムリの殆どが左巻きなのに、まれに右巻きがいるのはナゼ?。
 かねてから知りたいと思っていました。( 写真をご覧ください。)
 
 その謎が東北大学によって解明されて、近く英科学専門誌 「ネイチャー・コミュ
 ニケーションズ(電子版)」 に掲載されるとの記事が最近、新聞とネットに掲載
 されていました。

 
 それによると、もともと右巻きが多く左巻きは突然変異。
 その突然変異の種が進化して、現存の殆どが左巻きになった。
 その進化を助けたのが、カタツムリをエサにする天敵のある種のヘビ。
 その種のヘビは、右巻きりの方を捕食しやすい歯並び構造の口になっている。
 
 さらにカタツムリの体は、巻き方が異なると交尾しにくい構造。
 右巻きが減り子孫を残す機会も激減、一方の左巻きは天敵に遭いにくい利点
 で進化してきた。

 このような主旨の調査結果の、論文発表とのことです。
 
 写真の左: 周りの5個は左巻き。庭や野山でよく見かけます。
        : 中央の1個は右巻き。樽本の裏山、昔から伝わる遺構(*)で
         数年前に見つけて持ち帰りました。

 
 写真の右: 右巻き1個が写真に。
知人が今年5月、上記*を訪ねた山野草の
         写真に偶然、写っていました。同じ場所でした。

          一般には珍しい殻 (カラ) 模様もよく似ていて、この地域に謎を
         感じています。


2010年12月3日(金)
『ままよ会』 12月5日に。

 
 このHP 「ふれあいの旅」 No18、No19、No22 でご案内しています 「ままよ会」 
 が12月5日(日)、都内で3年ぶりに開かれることになりました。

 
 この会は、かつて樽本が 「豊葦(トヨアシ)村」 であったs20年代、東京に
  「豊葦村出身者の会」 として発足、その後、s44年に改称して 「ままよ会」 に
 なりました。

 
 古くから更新が続く 「ままよ会名簿」 一行目には、次の一文が記されています。
  『ままよ会は旧豊葦村の伝統的な 「ままよ踊り」 を継承する親睦団体です。』 
 
 今回は80歳代のお三人を含めて、30数人のご参加が見込まれています。
 参加メンバーの中には、新たに若い世代も加わりました。 
 
 このHPでご紹介しています樽本伝統の 「樽本音頭」 や 「ままよ踊り唄」 を、
 参加者がそろって楽しめたらと期待しています。

 
 12月5日(日)開催の模様は、後日 『ふれあいの旅』 ページでご報告いたします。
 
                 【 写真は、軒下で今年も実ったナンテンです。

2010年12月1日(水)
盆踊り唄のご案内

 
 11月26日の日記 「ままよ踊り唄 録音」 で、ご案内しました唄の歌声を、このHP
 でご紹介をしています。

 
 これまでの 「樽本音頭」 同様に、トップページからクリックしてお入りください。
 11月24日に録音した 「11番」 までの全歌詞の歌声が、お聴きいただけます。
 
 不慣れな録音でノイズ混入など、お聴きぐるしい部分もありますけれど、奥深い
 山里に伝わる樽本固有の伝統の唄を、ご試聴いただければ幸いです。

 
 【 写真は、ホオズキです。
 録音を終えたあとお土産に、歌ってくださった 小出トシノ氏 からいただきました。
 畑から穫り入れたホオズキでした。

2010年11月26日(金)
ままよ踊り唄 録音

 
 11月19日の日記 「盆踊りの唄 録音へ。」 に11月24日、行って参りました。
 
 樽本ご出身で、JR信越本線 関山駅近くにお住まいの 「小出トシノ氏(83歳)」 の
 ご協力を得て、唄声の録音が実現しました。

 
 この唄は、全詞二十番まであります。
 このたびは十一番までを唄っていただき、録音をしました(≒4分)。
 
 この唄の元唄には、盆踊りリード役が唄う 「音頭とり」 、円陣をつくっての
 踊り手みんなでの 「合唱」 の部分があるのですが、今回は全て 「トシノ氏」 に
 お願いをしました。

 
 【ままよ踊り唄】 その 「一番」 のみをご紹介します。

  「音頭とり」   ハアーままよままよでーなぜままならぬー
  「合唱」     ハアーヤツサイ コラサイ
  「音頭とり」   ままになる身はコリャーもたせたいー
  「合唱」     ハアーもたせたいーなる身はままにー
  「音頭とり」   ハアーヤッサイ コラサイ
  「合唱」     ままよなる身はコリャーもたせたい
 
  この唄声は、近く、このHPでご紹介を予定いたしております。
 
 【 写真は、25日帰途の朝、JR信越本線 関山駅ホームで写しました。
        左は、ホームに入ってきた上り列車です。
        右は、駅ホームのすぐ前、たわわに実る民家の柿です。
  

2010年11月22日(月)
昔、子供のころのアスビ

 
 ゆで卵の中身 「黄身と白身」 を逆転させて、白身を卵の中心部に丸く封じ込め
 るTV番組をみていて、昔の子供のころの遊びを想い出しました。

 
 写真は、想い出しながら作ってみた小道具ですが、ご経験のある方も多いと
 思います。
 ( 樽本方言では 「遊び」 を、アスビと言います。)
 
 写真の小道具を少しご説明いたします。
   ・糸の広がり長さは、左右の幅≒35cm
   ・ボタンの直径(≒)は、上から35mm、30mm、25mm、25mm
   ・ボタンの材質は、上から三つは樹脂、四つ目は木
   ・糸は、凧揚げ用。充分に強度ある糸を使う。
 
 想い出しながら試したその結果、軽快に楽しめた順に写真の上から並べました。
 ボタンは大きく重いほど、実に快適で 「うなり音」 さえ発してくれました。
 
 上から三つ目ボタンでは、初動回転の 「糸ねじり」 は写真の通り 「5回」 ほどで
 充分にスタートすることができました。

 
 広く知られているアスビと思いますけれど、ひと時、樽本のころの童心に帰ること
 ができました。

 
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 ・11月19日の日記「盆踊り唄 録音へ。」で数日間、遠出をいたします。
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2010年11月19日(金)
盆踊りの唄 録音へ。

 
 樽本の盆踊り 「ままよ踊りの唄」 について、この日記 (2010年8月16日付) で
 ご紹介いたしました。

 この唄は、戦前の昔からある樽本固有の盆踊り唄で、老若男女に親しまれ今に
 伝えられています。

 
 どのような経緯でいつ頃に、この唄ができたのかを知る人を探していますが、
 今のところ分かりません。

 
 この唄を継承してくださる方々も、今は、過疎化と高齢化で少なくなっています。
 そのふし回しや間合い掛け合いなど、譜面のたぐいは全く残されていません。
 
 このたび、「樽本音頭」 の楽譜・演奏曲の完成 (11月4日の日記) を機会に、
 次の試みで 「ままよ踊りの唄」 を歌ってくださる方を探していました。

 
 その試みが樽本ご出身の方 (83歳) によって、新潟で実現することになり、
 来週 (11/24〜25) 録音に伺うことになりました。 

 このHPで、いずれご紹介できればと願っています。
 
              【 写真は、庭で咲いた今年のお茶の木の花です。

 

2010年11月13日(土
イロリにつどう季節に。

 
 樽本は、すでに初雪の便りが届くころになりましたが、晩秋、霜の降りるころ
 からの朝夕、昔は囲炉裏 (イロリ)  ばたが恋しい季節でした。

 
 子供のころ、家の暖房といえば 「炭火コタツ」 と囲炉裏ばただけでした。
 そのコタツも家に穫り入れた穀物などが片付くまで、作ってもらえませんでした。
 
 囲炉裏は食事準備の煮炊き・焼き物、湯沸しの全てをまかなっていましたの
 で、朝、早起きの親が先ず火を入れます。

 
 囲炉裏には直径20cmを超える太い薪 (マキ) が必ず1本くべてあって、その
 火がいつも暖かく燃え続けていました。

 ( 樽本の方言で、太めの薪を 「ベータ」、細い木枝の薪を 「ボヨ」 と言います。)
 
 朝の寝起きに先ず囲炉裏ばたへ、外から帰って冷えた体を囲炉裏ばたで、食後
 のひと時を囲炉裏ばたで、などなどと二代も三代も同居する家族が自然に
 つどっていました。

 
 豪雪の冬ともなれば囲炉裏ばたは時に、隣り近所が互いに訪ねあって、お茶
 のみ団らんの場にもなっていました。

 
          【 写真は、s40年代まであった樽本の 「ジロ」 です。
                 ( 囲炉裏は、樽本の方言で 「ジロ」 と言います。) 

2010年11月11日(木)
 101

 
 『 鶴は千年  亀は万年 』 と、カメは長寿とされて昔から可愛がられています。
 
 強固な甲羅におさまりながら、みんな仲良く静かな生き様は実に見事で、永く
 飼うほどに人にもなじんでくれます。

 
 写真の左は、庭で飼育中のカメ達で今年5月はじめ、冬眠明けの日光浴です。
 このカメ達の中の何匹かは、≒30年間飼い続けています。
 
 写真の右は、今年の夏、写真左の親たちが産み落としてくれた卵から生まれた
 子ガメ達です。

 産卵から2ヶ月少しかけて、9月に誕生してくれました。
 
 樽本のオジ(ryuzi)の日記、お陰さまで本日101回にたどり着くことができ
 ました。ありがとうございます。

 これからもカメ達にあやかり、長寿を目指します。
 どうぞ、よろしくお願いいたします。

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