ユキツバキ 私【オジ(ryuzi)】の幼かったころ、少年のころのふる里「樽本」を日記でつづります。 遠い昔の記憶を想いおこしながら、時代もテーマも
特にすじ立てなくご紹介します。

また、暮らしの話題、ふる里への思いなども、折々にご紹介いたします。

原風景、歴史や伝統、樽本温泉、暮らしなど、近未来の樽本に少しでもお役に立てればと思い、また、夢もこめて・・・。

併せて、今は神奈川県に住み趣味ですべてを手造りした野趣の庭
山野草、庭木、小さな生きモノ なども、写真でご紹介します。

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            【 2010年弥生3月1日 樽本のオジ(ryuzi)
 
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2010年5月11日(火)
タ ナ(池)

 
 ( 続5月9日の日記 )
 豪雪地の樽本の冬は、屋根に積もった 「雪おろし」 を幾度も行うため、その雪を
 とかす目的で家の軒下に池を造っていました。

 樽本では、その池を 「タナ」と呼んでいました。
 
 このため 「タナ」 は家の裏側などの、軒下ギリギリの位置に造られていました。
 日当たりのいい 「庭」 にタナを造らないのは、庭は穀物乾燥などの作業場に
 するためでした。

 
 タナは春から秋の間は、洗濯や田畑から帰っての手足の洗い場になり、食用の
 鯉 (コイ) も飼われていました。

 タナには導水路からキレイな水が、いつも豊富にそそがれていました。
 
 生家にあった二つのタナの一つには、ごく微量の天然ガスのアワがいつも出で
 いました。

 
                       【 写真は、庭で満開のエビネランです。】
  

2010年5月9日(日)
アナグラ

 
 昔、樽本の生家の軒下の隣に、横穴構造の倉(クラ) がありました。
 今も原型はありますが、幼いころからの記憶にありますので、昭和初期または
 以前に造られたものと思います。

 
 「アナグラ」 と呼んでいましたが、穀物などの倉として使った記憶はありません。
 おもに山から切り取ってきた、「若葉のついた桑の枝」 を立てかけて一時保管
 していました。

 
 昭和の中ごろまでの生家は、春・夏・秋と年3回 カイコ を大量に飼っていました。
 当時の樽本では、どこの家でも 「養蚕」 は貴重な現金収入でした。
 
 冬になるとアナグラは、年中天井からしたたり落ちている水滴を底部分に溜め
 て鯉 (コイ) の越冬場にしていました。

 コイを飼っているタナ (池) は、冬には別の役割があるためでもありました。
 
  【 写真は、今も残る樽本の生家跡のアナグラです。2008年5月の撮影です。】

 

2010年5月7日(金)
ヤケド

 
 兄(20歳年上の長男) の婚礼披露宴が延々と続く遅い夜、囲炉裏ばたでうたた寝
 していた私が寝ぼけて転げ落ち、左手を大ヤケドしたのが半世紀ほど前の
 今ごろの季節でした。

  
 兄は8年間の激戦地をへて無事に帰還、その翌々年、私が小学4年の春のこと
 でした。

 戦地での経験をもとに兄に応急処置をしてもらい、翌朝、親に連れられて残雪の
 山道を何時間もかけて病院に行きました。

 
 病院では、上手な包帯の巻き方を見て 「どこの病院で治療を受けてきたか・・・」
 などと聞かれたことを覚えています。

 
 信越線 田口駅 (今の「妙高高原駅」) 近くの、親戚の家を宿にして親に連れられ
 て何日も通院しました。

 今は傷跡もなく、当時の適切な処置に感謝しています。
 
                        【 写真は、いま庭で満開のアヤメです。】
  

2010年5月5日(水)
オドリコソウ

 
 樽本の山野には、昔は多くの自然の恵みがありました。
 雪どけのあとの山菜、夏前のグミやクワの実、そして秋にはブドウ、アケビ、
 クリ、イツキ(ヤマボウシ) などなど。

 
 これらの山の幸を幼いころから少年期まで、それぞれに楽しんで過ごしました。
 その中でも 「オドリコソウ」 は、数少ない花にまつわる楽しみがありました。
 
 リング状に咲いた花の一つ一つに、他には例がないほどの量の 「ミツ」 がある
 花でした。

 摘み取って花の付け根を含み吸うと、ミツが口の中に広がるあの甘み、今も
 憶えています。

 
 樽本のオドリコソウは、日当たりのいい道ばたなどにたくさん自生しています。
 何年か前、はるか昔の想いを込めて樽本から庭に移植して根付いています。
 
             【 写真は、庭で今年も咲いた 「樽本 オドリコソウ」 です。】

2010年5月4日(火)
亀・冬眠あけ

 
 趣味の一つで、日本亀 (クサガメ) を飼っています。
 昨年12月から冬眠していましたが、最低気温が10℃を超えてきましたので5月
 早々に冬眠あけをさせました。

 
 今年の越冬は、「全員」 健康で冬眠あけを迎えてくれました。
 昨年、卵から孵化した子ガメたちも無事に初越冬を終えて、先ずはヤレヤレです。
 
 中には20年ほど飼い続けている親ガメもいますが、飼育ノウハウを積むのには
 少なからずの犠牲もありました。

 これまでには、病気や外敵 (ハクビシンなど) による被害経験もありました。
 
 日本亀(クサガメ)
    観賞魚店や夜店で売られている 「ゼニガメ」 は 「クサガメ」 です。  
    日本亀には、このほかに一種 「イシガメ」 がいます。

              【 写真は、日光浴をしている冬眠あけの親ガメたちです。】

2010年5月2日(日)
潮干狩り

 
 夏は海水浴場にもなる 「海の公園」 に、昨日(5/1)、 孫のお供で潮干狩りに
 行ってきました。

 
 潮目に恵まれた一日で、浜の向こうに 「横浜・八景島シーパラダイス」 が眺めら
 れる絶景のポイントでした。

 
 ヒザ下ほどまでの浅瀬に立ち入り、足もとの砂の中から 「アサリ」 を手探りする
  「潮干狩り」でした。

 潮が引いた砂地をクマデで貝探しするのとは、ひと味違った楽しみがありました。
 
 予想を超えるたくさんの収穫でしたので、三分の一ほどの量の小さめの貝を
 リリースして帰ってきました。(入場料は無料です。)


 楽しんだのは、大人の方であったのかもしれません。
 
                 【 写真は、昨日の 「海の公園」 潮干狩り風景です。】

 

2010年4月30日(金)
今年の里帰り初め

 
 樽本の山野の雪が溶け草木が芽吹く前、この時期が毎年の里帰り初めでした。
 今年は 「樽本温泉開き」の4月29日が、残雪が多めであってもその頃合いでした。
 
 事情で樽本を離れて暮らしておられる方々も、この日には 「風呂はいり」 に
 帰ってこられます。

 なつかしい顔ぶれとの、再会の好機でもありました。
 
 ところが、ふる里の小中学校時代の 「同級会」 が、5月20日(赤倉温泉)に決まり
 ました。

 赤倉と樽本はほぼ同域、3週間内に二往復の車の旅は困難ですので4月29日の
 里帰りは、心残りでしたが見送りしました。

 
 毎年欠かさずに同級会を始めて、今年が第16回になります。
 地元に住む同級生が幹事を続けてくださり、毎回、歳を忘れて楽しんでいます。
 
 今年は、この同級会に合わせて最初の里帰りをしてまいります。
 
 【 写真は、庭のマムシグサ。3月24日の写真と類似種で、ひと月遅い開花です。】 

  

2010年4月28日(水)
クリンソウ

 
 日記に添えました写真の花 「クリンソウ」について、少しご紹介いたします。
 
 昔、樽本の生家の軒下で、私の幼いころからクリンソウが咲いていました。
 大切に育てていた親の姿と共に覚えていますので、昭和20年代のことと思います。
 
 写真のクリンソウは、その生家の軒下から譲り受けた 「ひと株 (1本)」 の何代目
 かになります。

 これまでの何十年間には、庭で幾度か絶える寸前のこともありました。
 
 幸いタネの発芽率が高いことから、幾代もの 「株」 が育ち継いで花を咲き続けて
 くれています。

 
 ・クリンソウ (九輪草)
   たくさんの花が輪(ワ) の形をしながら、下から上に段々と咲いていきます。
   この姿から、子供のころに 「九輪も咲く」 と教えられていましたが、モノの本に
    「五重塔の屋根に立つ九輪に例えて名づけられた。」 とありました。

   クリンソウは、実生から花をつけるまでには数年の歳月がかかります。
 
                【 写真は、4月26日の花と共に今年のクリンソウです。】 

  

2010年4月26日(月)
(続) 樽本温泉

 
 <続4/25の日記> 今年も4月29日に営業開始する樽本温泉、その再開当日の
 イベントは、遠方・近郊を問わずどなた様も参加は自由で無料です。

 イベントは温泉前の広場で行われます。
 
 また温泉窓からの連山のながめは、まだ、多くの残雪風情が楽しめます。
 いろいろな効用で好評の湯を、ゆっくりと心行くまで堪能してください。
 (入浴料は300円です。)

 
 当日は 「斑尾チームNP」 の皆様のご支援を得て、樽本の方々が総出で
 振る舞ってくださいます。

 原風景につつまれた樽本温泉、この機会にゼヒ、お出かけください。
 
            【 写真は、咲きはじめた庭のクリンソウ (サクラソウ) です。】

2010年4月25日(日)
樽本温泉


 冬季休業中の 「樽本温泉」 から、4月29日に営業再開の案内が届きました。
 昨年11月3日の 「温泉仕舞いの日」 をもって休業中でした。
 
 樽本を通る県道は、冬季も整備されて車の往来は十分にできますが、一夜に
 して雪が1〜2尺 (≒30〜70cm) も積もることがよくあります。

 
 また樽本の冬は、天候の急変もよくありますので、遠方から入浴に訪れる方の、
 移動の安全も考えて冬は休業しています。

 
 およそ半年振りの営業再会で、色々なイベントがあります。
 当日のお昼には、地元手づくりの料理が無料で振る舞われます。

 詳しくは、リンク先ホームページ 「豊葦の郷」 をご覧ください。
 「樽本温泉」 は、このホームページでもご案内しています。
 
                         【 写真は、軒下に咲くシャガです。】

 

2010年4月23日(金)
フキノトウ

 
 早春、雪どけが始まり地肌が出はじめると、樽本は山菜 (サンサイ) シーズンに
 なります。

 樽本の山菜第一号は 「フキノトウ」 で、里の近くにたくさん芽吹きます。
 
 樽本のフキノトウは前年の晩秋に芽吹きの準備を始めて、数m の雪の下で成長
 しながら春を待ちます。

 雪がとけ地表に顔を出すころには、黄色で楕円の数cmにまで成長していました。
 
 雪どけは南向きの田畑まわりから始まり、そこが宝庫でした。
 この頃のフキノトウは柔らかく、独特のニガミがあって一番の食べごろでした。
 
 採ってきたフキノトウで作ってもらった 「フキミソ (味噌)」の、子供のころに覚えた
 あの味が忘れられなくて、この季節になると今も楽しんでいます。

 
                  【 写真は、はじめて庭で咲いたリュウキンカです。】

 

2010年4月21日(水)
カブトムシ

 
 趣味で飼育中のカブトムシの幼虫がもう少しで羽化する季節になりますが、この
 時期になると樽本の昔を思い出します。

 
 昔、厩 (ウマヤ) から出る家畜の食い残し牧草や排泄物を家の外に積み上げて
 おき、翌年の堆肥にしていました。

 雪が溶けるころ家の大人たちは、その堆肥を田んぼや畑に運んでいました。
 
 2mほどにも積み上げられた堆肥を崩しながら運ぶのですが、その崩しあとには 
 「白い巨大な幼虫」がいつも沢山うごめいていました。

 当時の記憶ではただ 「不気味な虫」 で、手を触れることさえ避けていました。
 
 いま思えば明らかにカブトムシの幼虫なのですが、昔、樽本でカブトムシの成虫
 を見たり捕ったりした経験がないのです。

 小さな生きモノには関心 が強かったのですが、不思議に思っています。
 
                【 写真は、庭の片すみで咲き始めたエビネランです。】 

2010年4月19日(月)
しもやけ

 
 昔、幼いころ、冬になると 「耳たぶ」 のシモヤケ ( 霜焼/凍傷 ) に悩まされてい
 ました。
 耳たぶが赤くはれて、やがて傷跡にできたカサフタが春まで取れないままでした。

 
 この悩みは、中学生のころから始めた 「ワッコ掛け」 が解消してくれました。
 ( ワッコ掛け : 4月18日付の日記をご参照ください。 )
 
 当時は捕らえたウサギの毛皮を、皮の内側まで乾燥させて防寒用に色々と利用
 していました。

 その一つに、親が器用に手づくりしてくれた 「耳あて」 がありました。
 
 耳がスッポリ納まるドーナッツ型の 「耳あて」 は暖かく、シモヤケ予防ができて
 遊び仲間でも自慢のできるものでした。

 
                         【 写真は、庭で満開の八重桜です。】

2010年4月18日(日)
ワッコ掛け

 
 昭和20年代、樽本に生息する野生動物 (哺乳類) は野ウサギ、ムササビ、リス、
 イタチ、コウモリ、アライグマ(ムジナ)、ネズミなどでした。

 
 近年は様変わりしてムササビは絶滅、ウサギは激減、替わってキツネ、タヌキ、
 イノシシが加わり、更にニホンカモシカ、クマなどが出没していると聞きます。

 
 昔、野ウサギはたくさん野山にいましたが、農作物への被害はさほど多くはなく
 身近な野生動物でした。

 晩秋の初雪と早春の雪どけのころ、「ワッコ掛け」 と呼ぶ仕掛けでウサギ捕獲を
 楽しみました。

 
 野山を駆け回るウサギは夜行性で、夜 「一度通った所を後日に再度通る」 習性
 があります。

 中学生のころ、土曜日の午後に裏山に登りウサギの足跡を探します。
 なるべく新しい足跡を選んで、そこに細い針金で作った仕掛け 「ワッコ」 を掛け
 ました。

 
 翌、日曜日の夜明け早々、裏山に仕掛けた 「ワッコ」 を見に行きました。
 ひと冬に、たくさんは捕れなかったのですが、実益を兼ねた楽しい週末でした。
 
      【 写真は、庭で満開のヒメリンゴです。赤い2cmほどの実をつけます。】

2010年4月16日(金)
中学生

 
 4月、この時期になると、小学6年生から中学に進級した頃の昔を思い出します。
 
 中学に進級して間もなく親から、新しい 「白い手ぬぐい」 を 「これ使え」 と渡され
 ました。

 幅 5cm ほどで長くたたみ二つ折りにして、手ふき用で腰ベルトに下げて歩くのが
 カッコヨカッタのでした。

 大人に近づいた証しになる品で、嬉しくもらい受けた記憶があります。
 
 少年団への加入は中学生からでした。
 野球チームなどの活動のほかに、「お宮さま (神社)」 の掃除や参道すじの雑草
 取り、「火の用心」 夜回りなど、村への奉仕活動を少年団が自主的に行っていま
 した。

 
 冬、集団登校する雪道は、小学生は雪が踏み固められた列の後方を歩いて
 いました。

 中学生になると先頭歩きの 「道付け」 役となり、時には 「カンジキ」 を付けること
 もありました。

 大雪の朝は大人が 「道付け」 で先頭を進み、続いて中学生が踏み固め役をして
 いました。

 
          【 写真は、庭で咲いたグミの花です。赤い大きな実を熟します。】
  

2010年4月14日(水)
冬仕事(その3)

 
 このHPトップページでご紹介しています 「樽本音頭」、歌詞四番に次の一節が
 あります。

    「・・・ わら打つ機械も 音たかだかに ・・・」 
 
 この 「わら打つ機械・・・」 によって、重いキヅチを使ってワラを柔らかくする仕事
 が機械に置き換わり、手仕事は「ワラを交換」 するだけになりました。

 
 根気のいる手編みの仕事は続きましたが樽本地区で、ひと冬に3000枚ものネコ
  (按藁) を生産したとの記録もあります。

 「ワラ打つ機械」 の写真は、このHPでご紹介しています。
    「 昔の暮らし → 農機具 → わら打ち機 」
 
 このころ樽本では、10軒ほどの単位で一緒に使う 「共同作業所」 が、村のアッチ
 コッチに何軒も建設されました。

 共同作業所には、ワラ打ち機、精米機、粉ひき機をはじめ、いろいろな設備を
 備えていました。

 
                    【 写真は、庭で20本満開のクマガイソウです。
                     花の袋部分は maxサイズ ≒ 5cm あります。】


2010年4月12日(月)
冬仕事(その2)

 
 「冬仕事(その1)」 でご紹介しました 「ネコ(捻藁)」 は、現代の多用途な敷物
  「ブルーシート」 の元祖のよえな樽本特産品でした。

 当時、収穫後の穀物や産物などを日干しする際、その敷物としてネコが良く使わ
 れていました。

 
 身近な用途では、農家などで板の間部屋の床にも敷いていました。
 ネコは1cmほどの厚さがあることから、保温効果も良かったのだと思います。
 
 脱穀した後のワラは良く乾燥していて、茎も葉も硬く人の肌を傷めることさえ
 あります。

 このため「ネコかき」 に使うワラは、 充分に 「柔らかく加工」 して使っていました。
 
 このワラを柔らかく加工するのは、おもに家の男たちの仕事でした。
 この作業は重いキヅチ (木槌) を使う力仕事でしたが、昭和20年代には電動の
 機械に置きかわりました。

 
                   【 写真は、今年も庭で咲いたウラシマソウです。】

2010年4月11日(日)
冬仕事(その1)

 
 樽本の冬、田畑は数メートルの雪に埋もれている間に、大人たちが家の中で
 一生懸命に働いていた昔の姿を想い起こしてご紹介します。

 
 昭和20年代の樽本に、特産品でネコ (捻藁) と呼ぶ手作りのムシロ (筵) があり
 ました。

 ワラ (藁) を使って手編みしたもので、サイズ≒4畳で重さ≒15kg とかなり大きな
 敷物でした。

 
 この 「手編み」仕事を、「ネコかき」 または 「ネコをかく」 と呼んでいました。
 2畳ほどサイズの縦型木枠に細い縄を縦にはって、縄と縄の間にワラを編みつけ
 ていく大変根気のいる仕事でした。

 
 「ネコかき」 は、おもに家の女たちの仕事でした。
 寒い冬仕事、両手を 「アカギレ」 だらけにして、一日中座り込んで「ネコをかいて」
 いました。

 
                 【 写真は、庭のクマガイソウ、もう少しで満開です。
                   うしろの小さな白い花は、イカリソウです。】 

2010年4月9日(金)
ツバメ


 昭和20年代の樽本にはたくさんのツバメが飛来して、ほとんどの家に巣作りをして
 いました。
 3月26日の日記 「渡り鳥/イシクナゲ」 と共に、ツバメは樽本に訪れる身近な渡り
 鳥でした。


 私の生家では、戸間口 (トマグチ/玄関外) と厩 (ウマヤ) の二箇所に巣を作り
 ヒナを育てていました。
 共にその習性などから、同じ 「ツガイ」 が毎年訪れていたように思います。


 ツバメには同じ場所で毎年ヒナを育てるのに、前年の巣を使わずに必ず新たに
 巣作りする習性がありました。
 寄生虫などへの予防であったかも知れません。


 巣のある戸間口の二階、巣の真上の床板を数ミリずらしておいて、たびたびヒナの
 成長を間近でのぞき見るのが楽しみでした。


                   【 写真は、今年もフジ棚で咲いたアケビの花です。】

2010年4月8日(木)
オタマジャクシ

 
 子供のころの春、雪どけと共に最初に出会える小さな生きモノは、カエルの卵で
 ありオタマジャクシでした。
 樽本の方言では、オタマジャクシを 「ゲエロッコ」 と呼んでいました。
 
 樽本の早春は、雪どけが進み田んぼのスミの方に水溜りができると、待っていた
 かのようにカエル達がいたる所に産卵をしていました。
 やがて 「ゲエロッコ」 となりカエルに成長して、害虫などを捕ってくれていました。
 
 樽本の今は、時代の流れを受けて多くの田んぼは休耕となり草木が茂り水が枯れ
 ています。
 あの、たくさんいたカエル達はどこへいったのか・・・。
 畦 (アゼ) 道を歩けば、かぞえ切れないほどの生きモノ達に会えた昔がなつかしく
 思います。
 
    【 写真は、一斉に咲きだした庭のクマガイソウです。
      10年ほど前、山野草展で買った二本の株がこんなに増えました。】

2010年4月6日(火)
ユキムシ

 
 樽本の冬、雪の上で生きる小さな虫がいました。
 数メートルの積雪にすべてが埋もれる真冬、新雪の上を歩いている姿を良く
 見かけました。
 その虫を、樽本では 「ユキムシ」 と呼んでいました。
 
 小さな虫類の冬は、その殆どは卵などで積雪の下深く、枯れ草や土中で春を待つ
 のに、なぜか、その虫は雪の上を歩きまわっていました。
 記憶では、大きさは10数mm ほどの真っ黒で飛ぶような羽はなく、たくさんの足が
 ありました。
 
 雪上には虫の餌になるものは 「雪」 以外はなく、厳寒の氷点下が続く冬に小さな
 虫が生き延びていられる不思議に、今もって答えが見つかりません。
 
 ( 「樽本のユキムシ」 は、Wikipedia などで解説のユキムシとは異なる虫でした。)
 
              【 写真は、実生から育てた庭木、モミジの新緑近景です。】

2010年4月4日(日)
おつかい

 
 かつて樽本の方言では、「おつかい (お使い)」 は 「オツケエ」 となり、普段は
  「オ」 なしの 「ツケエ」 となっていました。 ( 近年は標準語を多く使っています。)
 
 祝い事の夕食などの招待で、樽本にあった 「ツケエ」 の習慣をご紹介します。
 
 お招きの準備がほどよく進むころを見計らって、「一番ツケエに行ってこい」 と
 親が子供に指示していました。
 子供は招待先の家々を訪ねて、「そろそろ来てクンネカエ (来てください) 」 と
 伝え歩き回ります。
 
 次に、招待準備が整うころ合い、「二番ツケエに行ってこい」 と親が子供に指示。
 子供は招待先を訪ねて、「来てクンネカエ」 と伝え歩き回りました。
 
 招待される側は、「一番ツケエ」 でお出かけの用意を始めて、「二番ツケエ」 で
 出発、と言う昔の心憎い気配りのならわしであったように思います。
 
 【 写真(4/4撮影)は、もう少しで咲く庭のクマガイソウです。
  左上と右には、先にご紹介しましたシラネアオイ(3/25)、マムシグサ(3/24) が
  今も咲いています。】

2010年4月3日(土)
スキー(その3)

 
 市販のスキーをはき、竹シャフトのストックを手にして滑れるようになったのは、
  昭和20年代の中ごろでした。
 当時、村の一部の大人がどこかで習ったカッコ良い滑り方を、得意げに披露
 するのをまぶしく見ていた記憶があります。

 間もなく村の子どもたちにも、影響が現れたのは自然の成り行きでした。 
 それまでの子供たちの滑り方は、それぞれに我流でした。

 直滑降 (斜面を滑りおりる) では、ストックのたぐいは持たずに素手、または片手
 に木の枝などを持って姿勢バランスをとりながら、スピードとスリルを楽しんで
 いました。
 時には、真っ直ぐに伸びた細い木の枝を、ストックの代わりにすることもあり
 ました。 
 このHPの写真、「昔のくらし」→「スキー大会」  で、前列右から2番目が私です。
                 
               【 写真は、いま庭でほぼ満開のハナモモ (花桃) です。】 

2010年4月2日(金)
スキー(その2)

 
 樽本のスキー遊びは、まず田んぼや畑が連なる急斜面に積もった雪を踏み
 固める、「滑る場所づくり」 が最初でした。

 いつもの仲間と一緒になってスキーを横にする姿勢で並び 「二の字、二の字」 と
  「カニ歩き」 で、急斜面の下の方から頂上まで雪を踏み固めて 「ゲレンデ」 を
 作ります。

 
 村に幾つかあった遊びグループは、この 「自前ゲレンデ」 をそれぞれ別の場所に
 作っていました。
 晴天が続けば、斜面の一部に雪を盛って 1m にも満たないジャンプ台を作って
 飛距離を競い合うこともありました。
 
 当時、樽本の積雪は一夜で1〜2尺 (≒30〜70cm) はいつものこと、その都度、
 遊び仲間が声かけ合ってゲレンデ作りをしていました。
 
 【写真は、いま庭で満開のボケ (東洋錦) です。盆栽用を地植えして育てました。】

2010年3月31日(水)
スキー(その1)

 
 何歳のころであったか幼いころ、スキーの形をした平らな板を足に付けて、家中を
 歩いたような、かすかな記憶があります。
 きっと、この歩行の練習をへてから、雪の上での「スキーデビュー」に進めたのだと
 思います。
 
 ゴム製のスキー靴と金具付の市販スキーで滑れるようになったのは、昭和20年代
 の中ごろからでした。
 それまでは自家製のワラグツ (藁靴) をはき、村の 「大工さん」 に作ってもらった
 スキーで滑っていました。
 
 樽本の冬、子供の遊びにスキーが欠かせなかったのですが、昭和20年代までの
 スキーは大人も子供も男専用の遊びでした。
 冬の運動会 「スキー大会」 も、男子生徒だけの参加でした。

                    【 写真は、今年も庭に咲いたオキナグサです。】

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