昔から「村役場」など、豊葦地区の中枢機能は総て、中樽集落にありました。
その中樽が、明治35(1902)年春の大火で、中樽集落の大部分を焼失したと伝えられています。
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明治よりさかのぼる樽本の歴史は、これまで、その殆どは、先祖代々の語り継ぎで今に伝えられています。
樽本の民家には、数世紀におよぶ歴史を物語る家宝、位牌、過去帳などが残されています。
一方、樽本の昔について、明治以前の地域行政面では、古文書の類は殆ど見当たりません。
この事は、明治35年と言われる中樽集落の大火で、村役場と共に歴史資料も焼失したため、ではないかと考えられています。
このホームページで樽本先祖代々の「語り継がれてきた歴史」を、できうる限り忠実にご紹介します。 |
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写真は、中樽集落の神社「諏訪社」神木、杉の巨樹です。
この神木も、明治35(1902)年の大火で一部が焼け焦げる被害を受けました。
その焼け焦げた神木の傷跡は、その後、見事に活き返り、すでに100年を超える厳しい風雪に耐え抜いて、たくましく今も、巨樹の姿で立派に成長を続けています。
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(2008年9月撮影) |
「四季と見どころ」のページ<歴史を語る巨樹>もご覧ください。 |
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妙高村史693頁より (原文のまま) |
明治35年の春4、5月ごろ、中樽本に大火があった。
明治32年生まれで、当時上樽本で育ち、現在関山在住の関 麟治は、次のように語ってくれた。
当日は春の乾燥している時であり、あいにく南風が強かったため、南傾斜に位置している中樽本総戸数25軒中、20軒ほど焼失してしまった。
幸いにも人畜には被害がなかったが、貧しい農山村ゆえに、家を建て復旧するには時間がかかった。 |
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