カカシあげ: 12月9日 |
カカシ(案山子)様にお礼をすると言って、家々でゴッツォ(ご馳走を)作っていました。
この日に山に行く(仕事する)と怪我をする、との言い伝えがあって、仕事を休むことになっていました。
仮に、山に行って怪我でもすると、それ見たか、と言われました。 |
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報恩講: 12月25日 |
親鸞聖人の法事で、村のお寺にお参りに行き、寒い時期で火鉢にあたりながらお経を聞きました。 |
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歳とり: 12月31日 |
年令の起算日が1月1日であった、数え歳時代のならわしです。
夕食の席、家族全員を揃えて家長から家族に「この一年の慰労」の言葉を述べた後、ゆっくりと食事。
食事が済んだ子供は、土間の据え石に立って、両手を挙げ背伸びしながら、大きくなーれっ!!と大声を出し、明日から「1歳大きくなる(歳をとる)」ことを喜ぶ。
子供は、その後、「鐘突き」一番乗りを競って村のお寺に駆けつける。
子供達の間では、この鐘突き一番乗りが名誉なことでした。 |
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小正月: 1月1日 |
正月は、ひと月遅れの2月1日であった時代のならわしです。
1月7日まで、集落がいっせいに仕事を休む「アスビ日(遊び日/公休日)」になります。 |
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おやど: 1月 |
毎年、雪のあるこの時期に、説教者(坊さん)がよそから樽本に泊り込みできて、宿の家に村の大人子供を問わず説教を聞きに集まりました。
村の、寺の説教に似ていましたが、娯楽や情報の乏しかった時代で、中にはためになる話しがありました。
坊さんは、布団をかけたコタツヤグラ上に座って説教をしていました。
宿の家では、当日、集まる人達をもてなす準備のために、親戚縁者の協力を得るなど、朝から大にぎわいでした。
子供達は、坊さんの説教の間、火鉢の炭火でマメを焼いて食べながら過しました。
集落の家々は毎年、順送りで坊さんの宿をしていましたが、負担が大きいために宿番を見送る家もありました。 |
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本正月: 2月1日 |
正月は、ひと月遅れの2月1日であった時代のならわしです。
1月7日まで、集落がいっせいに仕事を休む「アスビ日(遊び日/公休日)」になります。 |
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お寄り組: 冬の間 |
組と呼んでいた村の、10数軒のまとまりが、それぞれで行われていました。
集落には、3〜4つの組がありました。
「今日オマンタ(お宅さま)、オヨリだでね」と言って小さな黒い箱が廻ってきます。
その箱には、お経本とノノサマ(阿弥陀さま)の掛け軸が納められていました。
その日は当番の家に、組の全家人が集まり、当番の当主が、お経を読み終えた後は、みんなで、お茶飲みしながら世間話しをして過ごしました。
何も娯楽がない時代の、近所付き合いの知恵でもありました。 |
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かいだん(回壇): 2月〜3月 |
坊さんが2〜3月ごろに廻って来て、村人を集め説教をしていました。
村の各戸が順送りで、坊さんの宿をする決まりがあって、「今年オマンタ(お宅さま)がカイダン番だでね」と「札(フダ)」が廻ってきます。
「おやど」と似た冬の行事の一つでした。 |
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おとりこし: |
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ホンビキ: 農作業のない冬の間 |
くじ引きヒモ(紐)で、大人も子供も楽しむ、娯楽の少ない時代の遊びでした。
集まった人数分の太目のヒモを用意して、当たりヒモの先には天保銭(ダンベ)を結び、仕切り役(親分)は、ヒモの束を意地悪くきつく握ります。
引き手は感触をたしかめながら、全員が一本づつヒモを持ち、「ダンベ来い」と大声を出し掛け合いながら、引き合って遊びました。
時には、一人1〜2銭ほど出し合って、当たった人が、そのお金を貰うこともあり、多人数の時には、天保銭を二枚つけて分け合いもしました。
子供や家族のみでの遊びでは、ヒモ先に、輪切り大根を結びつけていました。 |
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